『lovers in water』
 ( Quan Trinity Worlds - in the early 5400 's )




 キノコがおおきく傘をひろげたような塔のてっぺんで、ふたりは語らっていた。
 やわらかなエメラルドグリーンの光が降りそそぐその場所は、恋人たちの聖所なのだ。その場所からは、眼下に広がる美しい街並みを一望でき、しかも足元の大きな傘が恋人たちの姿を隠してくれる。遙か下の街からわき上がる無数の気泡は、ゆらめく日差しに煌めいて、まるでお伽噺の人魚のようなふたりのシルエットを美しく彩っていた。

「ねえ、どう思う? 子供のこと……」
「どうって、キミはどう思うの?」
 問うた恋人にやさしく問い返す。
 女はかすかに小首をかしげ、虹色の瞬膜をおろした。
「わたしは、ほしいと思うわ。もちろん、苦労することになるのはわかってるけど……」
 そう言って、彼女は眼下に広がる街並みに目をやった。碧を基調とするこの街は、この惑星でも一二を争うほど美しい。エメラルドの光、ラピスラズリの街並み、その向こうには濃い緑色の海林がゆらめいている。
 その美しい情景をうつした女の瞳。男はこの大きな瞳に魅了されたのだ。そこには常に強い意志の輝きがあったから。
 女の横顔を見つめて、男は呟くように言った。
「だけど、遺伝子管理局の審査はきびしいって聞いてるよ。それに……」
 そこで男は口ごもり、女の大きな瞳にうつった自分の姿を見た。
「それに、僕はレベルBだ。キミはレベルA。ホントに僕なんかを選んで後悔しないかい?」
 その言葉に、女は幾分驚いたようだった。
 女はしなやかな尾ひれを男のそれに絡めた。
「そんなことにこだわるくらいなら、こんなことあなたに言ったりしない。そうでしょ? それに、プランをしっかり立てておけば、審査は大丈夫。問題ないわ」
「だけど……」
 なお言い募ろうとする男の手に、女は手を重ねた。
 女の肩に並ぶ発光体は、静かに明滅を繰り返し、男は黙り込んだ。
「レベルとか、管理局とか、そんなこと問題じゃないの。わたしは、あなたの気持ちが知りたいの。わたしと子供を創るのは、イヤ?」
「イヤなわけがない! ただ……」
 慌てて声を大きくして、男はスリット状のエラから気泡を吐き出した。
 その様子に、女は可笑しげに肩の発光体列を煌めかせた。巻き付けた尾ひれに力を込めて男に身体を寄せ、長い腕を男の背中に回した。
「それなら、もう何も言うことはないわ。あなたも、わたしも、子供がほしい。なにより、わたしたちは互いに愛を誓った。これ以上の何が必要だというの? そうでしょ?」
 ふたりは視線を交わし、しなやかな腕で互いの背中を愛撫した。拡張された脳と上顎の間に創られた発声器官から、密やかな忍び笑いが漏れてくる。
 今日の水温はとても心地よく、こうして滑らかな肌を重ねて愛撫を続けていると、ふたりの将来への不安も、子供をもうけることへの不安も溶け消えてしまう。
 不安。
 男は確かに、子供をもうけることに不安を感じたのだ。遺伝子に対して設定されるレベルの差のことを口にしたのも、言い訳にすぎない。お互い、そのことはわかっていたが、それ以上言おうとはしなかった。互いへの深い愛情は、こうしてやわらかな光の中で愛撫を重ねていることでも明らかだ。もう、この想いを無視することはできない。
 男は、呟くように言った。
「よほどしっかりした遺伝子設計をしなくちゃならないね……」
「ええ、そうね。でも、大丈夫よ。わたしたち、きっとうまくやれる。素晴らしい子供を創ることができるわよ……」
 ふたりは互いの中にある不安を、愛撫と共に削ぎ落とそうとしていた。

 その時、下の街から不思議な音が聞こえてきて、ふたりは愛撫の手を止めた。
 ふたりは一瞬見つめ合って、それから尾ひれでかろやかに水を蹴った。腰を下ろしていた塔のてっぺんから少し浮き上がって、音の聞こえてきた下の方を見つめた。そこには奇妙な集団と、それを見ようとする人々が集まっていて、喧噪はそこから流れてきているようだった。
「あれは……?」
 女は呟くように訊ねた。
「あれは……外から来た人間のようだね。ほら、あの体に巻き付けた布、確かあれは<帝国>の高官が着ける長衣だ。たぶん、ウルクトゥス大公国の顧問官じゃないかな。今この星の各都市をまわっているとか言ってたし、この星が帝国にどういう貢献が出来るのか調査すると── どうした? どこか具合でも悪いのかい?」
 男は女の様子がおかしいことに気がついて訊ねた。
「いえ、何でもないの。ただ……」
「ただ?」
「ねえ、あの頭に生えてる海草みたいなものは、なんなの?」
 女の視線の先、使節たちの頭には、色も長さも異なる何かが揺らめいていた。
「ああ、あれは髪の毛というんだ。色や長さには個人差があるらしいけど、人間は普通ああいう糸状のものが頭部を覆っているものなんだ。熱とか、衝撃を和らげるために」
「そうなの。でも……」
 女はそこでハッと息をのんだ。より正確には、肩から腕にかけて連なる発光体を煌めかせて強い驚きを見せた、というところだ。
「あれ、あれはなに? 尾ひれが二つに分かれてる! あんな……」
「落ち着いて。彼らはあれで普通なんだ。彼らには尾ひれはないんだよ。あれは足と呼ばれているものだ。彼らは僕らみたいに水中ではなく、陸上で暮らしているんだ。だから、あの足で歩行することで移動するんだ。ほらみてごらん、足を前後にバタつかせて進んでるだろ? 陸上では水中より重力の影響が強いんだ。だから、彼らの世界は僕らの世界より平面的なんだそうだ」
「……なんだか、気味が悪いわ。私たちの、醜悪なカリカチュアを見せられているみたいで……」
 女は長い腕で自らを抱きしめて、すこし震えた。
「いや、彼らが僕たちを見れば、きっと僕らも彼らのカリカチュアみたいに見えるだろうよ。もっと言えば、異様な姿に変わった子孫、かな? ひょっとしたら奇形に見えるのかもしれない」
 この言葉に、女は驚いて男を見つめた。
 男は興味深そうにはるか下の行列を見つめたまま、言葉を続けた。
「知らなかったのかい? 僕たちは、もともとかれらみたいな姿をして、陸上で生きていたんだよ。数世紀前、この惑星に植民した時に、僕らの先祖は自分たちの遺伝子を書き換えて、今の僕らの姿につくり変えたんだ。
 髪の毛を取り除き、上顎に発声器官を創り、目には瞬膜をつけて、首にエラをつけた。肩から腕まで発光体をつけ、腕の長さを伸ばし、指を長くした。乳房を取り除き、生殖器も取り払った。脚をひとつにして、尾ひれを創った。からだ全体を流線型にして、皮膚も水の抵抗の少ないものに作り替えた。脳を拡張したのは、音波を処理して三次元空間の把握能力を高めるためなんだ。
 他にも作り替えたところはたくさんあるよ。例えば虫垂……」
 ここで男は言葉を切って、女を見つめた。女は驚いた表情で男を見つめていた。
「どうしてそんなに、詳しいの? あなたは鉱物学が専門でしょ?」
 男はすこし照れたように頭をかいた。
「うん、そうなんだけどね。以前、ある人に教わったんだ。だから今話したことは、受け売りなんだよ。僕らは、ほら、先祖の姿があんな風だったってこと、教えてないだろ? 別に秘密じゃないけど、かといって熱心に教えない。それは、自分たちの優位性を信じたいからなんだ。僕らは確かに水中じゃ彼らよりすぐれてるけど、陸上じゃどうにもならない。僕たちは、だからあまり先祖のことを熱心に教えないんだそうだよ」
「その人、生物学の先生でもしていたの?」
 女は不審そうな顔をしていた。男にそうした知り合いがいることに驚いたのだ。
「いや、そうじゃないけどね。その人とは<再発見>の以前に知り合ったんだ、十四の頃に。その人には夢があって、僕によく話してくれた。その時、教えてくれたんだ。こうした、色々なことを……」
 男はどこか遠くを見るような、懐かしげな色を瞳にうかべた。
「その人の夢って何だったの?」
「……笑わない?」
 女は両肩の発光体をそっと光らせて、諒解の意思を示した。
「……その人は、いつか宇宙に行くことを夢見ていたんだ」
 女は唖然とした表情をうかべて、男をまじまじと見つめた。
「そんなに驚くコトじゃないと思うよ。僕らの祖先は宇宙からこの惑星に来たんだし、<帝国>は宇宙航行を禁じているわけでもない。僕らは祖先の技術を失ってしまったけど、そんなものはもう一度学べばいいことだろ。僕らが宇宙に行くのは、不可能ごとじゃないはずだよ」
「だって、わたしたちは水中でしか生きられないのに」
「水を満たした宇宙船をつくればいい。ネ・ファン人だけの、水がいっぱいの船を……」
 イルカの亜種らしい影がふたりの前を横切ってゆく。イルカたちも、人間と共に来て姿を変えた動物だった。今ではネ・ファン人よりも数が多くなっていたが。
 男は遠ざかる<帝国>の使節一行を見つめて、呟いた。
「その人は<再発見>の一年ほど前に死んじゃったけどね。生きていればきっと喜んだだろうなぁ、<帝国>の船団が着水する光景を見て。いや、ひょっとしたら悔しがったかもしれない、先を越されたって……」
 そう言って、男は肩の発光体列を可笑しげに煌めかせた。
「あの人が死んだとき、その夢は僕のものになったんだ」
 そして男は、女の顔をじっと見つめた。
「もしも、仮にだけど……僕が宇宙に行くことになったら、キミはそれを許してくれるかい?」
 女は呆れた顔をして、男をまじまじと見つめた。
「許すわけないでしょ、そんなこと!」
 怒ったようにそういって、男の顔を両手で捉えた。
「そうなったら、もちろん、わたしも行くのよ。だれが見送りなんかするもんですか」
 そう言って男に顔を寄せて、もっとも古典的な、人間的な行動にでた。つまり、男の口に自分の口をそっと重ね、口づけしたのだ。それは彼らのもっとも人間的な一瞬、原型をとどめないほど姿を変えた彼らの、父祖から受け継いだ最後の人間的な愛情表現だった。
 エメラルドグリーンの光がゆらめく水の中で、ふたりのシルエットはいつまでも口づけを交わし続けていた。




<了>

戻る