「朝霧と露風の国」の桃坂美月さんから頂きました!

◆◇ 神代王 ・ 序 ◇◆



 東の空を白く染めはじめた夜明けが、森の樹冠の穏やかな起伏を照らし出し、その緑を鮮やかに浮かび上がらせた。
 森の上に広がる明け初めの青空に、真っ白な雲が吹き払われている。
 その空を、二頭の大鹿がそれぞれの背に金の冠をつけた男を乗せ、風のように駆け抜けていった。
 夜明けの艶やかな空気を大きく弧を描くように横切って、やがて鹿がふわりと地上に降り立つ。
 そこはどこかの山だった。低い小さな山。丘といった方がいいような。
 そしてその山は、姿の小ささに不釣り合いな大木に覆いつくされていた。樹齢千年を越える豊かな大木だ。
 その先には学校があるのか、大勢の学生が自転車をこぎ、仕事に向かう人々を乗せた車が行く道のすぐそばに、その丘はあった。
 二人の男は冠を朝日に煌めかせながら、鹿の背から軽々と地上に降り立った。そして鹿たちの首をねぎらうようになで、鹿の鼻を空にむけてやる。すると鹿たちは、地面を一蹴り。のびやかな動作で再び夜明けの空へ駆け上がっていった。
 それを静かに見送って、二人は丘をゆっくりと登った。
 登り切る手前、そこにはそぐわない鉄の扉があった。
 扉には看板がついていて、注意書きが掲げてあった。

『許可なくこの扉を開けることを禁ず』

 最後にどこかの教育委員会の名前もある。けれども男が扉に手をかけると、それは重たげではあったけれど難なく開いた。
 なかにはコンクリートの階段が降りていた。五段ほど降りたところはちょっとした踊り場のようになっていて、そこに、もう一つ鉄の扉がある。また注意書きがあった。

『二つの扉を同時に開いてはならない』

 男たちはそんな看板に目を向けようともしない。
 二つ目の扉も無造作に開けた。
 二つ目の扉の奥に広がるのは真の闇である。暗闇の中にあっても、男たちは昼間と同じ、何もかもが見えているような歩みで進んでいく。
 そこはトンネルのようだった。
 壁面には剥落しかかっていたけれど、赤い顔料で絵が描かれていた。両側の壁面はもちろん、見上げれば天井にも、様々な図象が描かれている。
 丸や三角や四角の幾何学模様、動物や鳥や人の象形。何かの建物らしきもの。
 壁画は歩むほどに行く手からふうっと浮かび上がり、二人の眼前に遥かな過去を具現し、背後の闇に溶けてゆく。
 逆巻く波。駆けめぐる獣。追いゆく躍動。渦巻く風。偉大なる王の証。突き進む船。魂を運ぶ鳥。
 やがて暗い道が終わった。
《お帰りなさいませ》
 行く手に二人の男が、かしこまって片膝をついていた。人の造形にしてはひどく不格好なのは、それが千年の昔に使役のために作られた、埴輪であるから。
《開けろ》
 金の冠をつけた男が、ぞんざいに言った。
 そこにはまた扉があった。
 男に命じられたとおり、二人の埴輪がそれを開ける。埴輪は古代の武具に身を包んでいた。腰には剣がある。
 扉が開いた。そして空気の澱んだ墳墓に、圧倒的な光が飛び込んできた。


 三番目の扉の向こうは月夜だった。
 満月がくまなく辺りを照らしていた。
 そこは土を突き固めた丘で、そのまわりをぐるりと無数の武人が、二重三重に異世界の住人の侵入を防ぐべく立ちはだかっている。
 丘の上には建物があり、その屋根にとまる二羽の鳥が、主人の帰還をさえずりで出迎えた。
 金の冠をつけた男たちはその建物に入っていった。
《最近はわたしたちの姿を目に出来る力を持つ人間も減りました》
 どこかあきらめにも似た穏やかな声でそう言って、男は部屋に置かれた琴の前に坐った。弦を弾くと、その強い響きの後の余韻がいつまでも空気を震わせた。
《こちらに残っているのも、わたしたち一人きり》
《気の滅入るようなことばかり口にするな》
 むっつりとした声で、男がたしなめる。
 静かな声の男は小さく笑った。
《人は次々に死んでいく》
《何を言う》
 男は土器(かわらけ=素焼きの杯)をカタリと板張りの床に置いた。
《約束の日は近いというのに》
 言われて男は唇だけでかすかに笑みを作り、
《憶えておいででしたか》
《当たり前だ》
 やや長い沈黙の後、もう一度軽く指先で弦に触れた男は、まなざしを上げ、静かに空を巡る月を仰ぐ。
《まあ、わたしたちだけでも、流れ去る時を、しばし惜しみましょう》



「朝霧と露風の国」の桃坂美月さんから頂きました!
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