(有)FIB堂本舗のFIBさんより頂きました!

『未来への扉』


 少年の遊び場は、カビ臭い地下の書庫であった。薄暗いその部屋は、少年にとって未知の世界への扉であった。地理学者の祖父が残した、十数本の古地図。少年はそれを眺めて空想し、まだ見ぬ彼方へと思いを馳せていた。
 
 『海の向こうはどうなっているの?』
 少年を含めて、何人かの者が抱いた疑問。
 『大きな滝があって、すべての水は永遠に落ちて行くのさ』
 彼の周りの、大人たちの出す答え。
 『落ちていった先には何があるの?』
 納得できない少年は、さらに質問を重ねる。
 『地獄さ。落ちていく水が、地獄の悪魔が這い上がってくるのを防いでいるんだ』
 少年は首をひねる。
 『誰がそれを見たの? 滝を見に行った船は、地獄に堕ちちゃうんでしょう?』
 大人たちはそこまで来ると、辟易した顔で少年を見下ろす。
 『いつまでも馬鹿なことを聞くんじゃないよ。学校で聖本について勉強しなかったのかい?』
 少年は黙って頷く。これ以上聞いても嫌がられるだけだ。
 
 “世界全図”と記された地図に、少年の目が留まる。それは丁寧に裏打ちされた、年代物の羊皮紙だった。きつく縛られた紐を何とか解くと、少年は期待に胸躍らせながらゆっくりと開いた。黒ずんだ表面に、力強く描かれた大陸の姿。多少不格好ではあったが、ソルティアナ半島と、付け根にある大湾がはっきりとわかる。北バルナス山脈の稜線は、うずくまる竜のように大陸を南北に分け、ホーン岬の沖には、今まさに帆を張って出航する帆船が描かれていた。しかし何より少年の目を惹き付けたのは、大陸の西にあるもう一つの陸地の姿。広大なその陸地の中心は白いままで、“未調査”と記されていた。そして少年の鼓動は、祖父のものと思われる走り書きを見て最高潮に達した。
 「ラ カナン トリ スボーレトセン!(ああ、まだ見ぬ新天地!)」
 ゆっくりと息を吐き出し、羊皮紙を丁寧に巻く少年の瞳には、躍動感溢れる強い光が宿っていた。
 
 
 
 青年は、舳先に据えられた航海の女神シェオンに心の内で口づけをした。港には、彼と彼の話に乗った12人の“馬鹿者”を見送る者など誰ひとりとしていなかった。世界の果てを目指す航海は、神への冒涜以外の何物でもない。しかし青年には、確信があった。幼い頃、地下室で見つけた古地図。祖父が探し求めた新しい世界。それを自らに課された使命だと感じた、あの瞬間。いくつかの想いが、脳裏をかすめていく。
 「準備完了だぜ、船長!」
 舳先に立って沖を見つめる青年に、船員が声を張り上げる。
 青年は右手を高く掲げた。一斉に帆索が引かれ、海風を受けた帆が大きく膨らむ。頭上で激しく船鐘が打ち鳴らされた。
 「舫綱を解け!」
 束縛を外された船は、沖へ向け静かに回頭をはじめる。
 
 未来への扉は叩かれた。激しくもなく、穏やかでもなく。扉の向こうには何があるのか、誰も知ることは出来ない。隙間から覗くのは希望の光なのか、あるいは絶望の闇なのか、それを確かめるために、青年は扉を叩く。内に大きな意思を秘めて。
 「ラ カナン トリ スボーレトセン!」
 青年は、シェオンとその彼方の新天地に向けて叫び声を挙げた。
 激しくもなく、穏やかでもなく。使命を持った堅い拳で、未来への扉は静かに叩かれる。


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