『夢現』





 ある国の、ある遺跡からの出土したもの。それは美しい碧い石の首飾りだった。
 その首飾りを見つめるうちに、わたしは古代を幻視し、遺跡とその首飾りにまつわる奇妙な物語を夢見た──





そこは石上穴穂(いそのかみあなほ)宮のとある一室。
老人は長い顎鬚をしごき、言うべきか否かと躊躇していた。
大王(おおきみ)を前に萎縮していたのだろうか……。
最初こそ、言い淀む老人を笑って眺めていた大王だったが、次第に苛立ってきた。
興をそがれた大王がしびれを切らし、とうとう老人の退出を命じようとした時、老人はようやく口を開いた。
「……謀反の疑いがあります」
「誰のだ?」
大王に問われた老人はしばらく黙りつづけていたが、やがて決意し告げた。
「……大王の叔父君であらせられる大草香皇子でございます」

大草香皇子(おおくさかみこ)仁徳(にんとく)天皇(倭王讃)と日向髪長媛の子である。
大王――安康(あんこう)天皇(倭王興)は、允恭(いんぎょう)天皇(倭王済)と忍坂大中姫との子であり、仁徳天皇と強大な権勢を誇った葛城氏の襲津彦(そつひこ)の娘、磐之媛(いわのひめ)との孫にあたる。

前の大王――允恭天皇崩御後、その子、木梨軽太子(きなしかるのひつぎのみこ)が即位することになっていた。

大王――当時、穴穂皇子(あなほのみこ)は誰よりも優れていると自負していた。
兄、木梨軽太子の即位に許せない穴穂皇子は、太子を陥れた。

木梨軽太子が同腹の妹、軽大郎女(かるのおおいらつめ)に恋心を抱いていることを穴穂皇子は知っていた。
穴穂皇子は、禁じられた同腹の妹への想いに悩み、苦しむ太子をそそのかし、太子は即位前に軽大郎女を犯しまった。
そのため、人々は穴穂皇子になびいてしまった。
まんまとはめられたと知った太子は、大前小前宿禰(おおまえおまえのすくね)をたより、戦ったが、穴穂皇子は軍をおこし、宿禰の家を囲み太子を捕らえ、伊予の湯に流した。

――勝者となった穴穂皇子は、しかし、猜疑心の強い男だった。

自分が兄を陥れたように、自分も騙されるのではないだろうかと。
常に人を疑い、信じようとはしない。
だが、自分への裏切り、批判の声には敏感であり、真偽が明らかになる前に信じた。

大王は老人の讒言を容易く信じた。
頭を深く下げた老人は、心の内でほくそ笑んだ。
老人は、どのような態度で話を切り出せば大王が信じてくれるのか知っていたのだ。

大王は、大草香皇子を殺し、その嫡妻(むかいめ)長田(おさだ)大郎女を皇后とした。

この事件に、人々は囁いた。

――大王は長田大郎女が欲しいために、大草香王子に謀反の疑いをかけたのではないかと。

そして、大草香皇子の子、眉輪王(まよわのおおきみ)の動向を静かに見詰めた……。

父を殺され、長田大郎女を皇后に迎えた大王を、眉輪王は激しく恨んだ。
即位後も讒言を信じた大王。
いつか、自分も父と同じように殺されるのではないだろうかと眉輪王は考えた。
父を殺された恨みと、自分が殺されるかもしれない恐怖……。
やがて、眉輪王は一つの結論に達した。




韓媛(からひめ)は敷物に座り、脇几によりかかながら、ぼんやりと窓の外を見詰めていた。
美しい茜色の夕焼け。
いつもなら、綺麗だと思うはずだが、今の韓媛には不吉な兆しに映った。

赤は血の色を連想させる……。

「韓媛様、遅いですわね……」
眉輪王が葛城円大臣(つぶらのおおおみ)の御館に入ってから長い時間が経っていた。
「何か、あったのでしょうか……」
従女の阿由は先ほどから一言も話さない韓媛が気になった。
阿由の強い視線に気付いた韓媛は、彼女を見詰めた。
韓媛を心配する余り阿由の眉間に深いしわが刻まれていた。
彼女をこんなにも心配させてしまった自分に韓媛は深く反省した。
「大丈夫よ。心配しないで」
韓媛は精一杯微笑んでみせた。
無理をして笑う韓媛の姿が痛々しかった。
そして、従女の自分にこんなにも気遣ってくれる韓媛に、阿由は涙ぐみそうになった。
「眉輪王様のご心中を考えると……。さぞかしご無念でしょう……。大王への憤り、わかります……。でも……」
韓媛はその先は心の内に秘め、口にしなかった。
余りの恐ろしい想像に、全身から血が引いていくのを覚えた。




御舘の壁にかけられた灯盞の火がゆるやかな光の輪を描いていた。
「私は、眉輪王様の味方です」
目の前に座る葛城円大臣はきっぱりと言い切った。
「讒言を信じた暗愚な男に、この国を任せておいてもよいのですか?」
葛城円大臣のその一言が眉輪王の心を捕らえた。
眉輪王は父を殺した大王への憎しみ、恨みしかなかった。
自身が大王にとってかわろうとは考えていなかった。

――私が大王になる……?

眉輪王の鼓動は次第に速くなり、額から汗が流れ始めた。

彼の様子を冷静に葛城円大臣は見ていた。
もう一押しすれば、必ずや眉輪王の心は決まるはずだ。

葛城円大臣は、眉輪王を擁して、現勢力に対抗しようとしていた。
いずれ大王となった眉輪王の后に娘の韓媛を嫁がせようと考えていた。

後、一言だ……。

そして――。
葛城円大臣は口を開いた。




共の者を従えて、御舘から出て行く眉輪王の姿を阿由は見つけた。
阿由は大急ぎで韓媛の元へ走っていき、彼女に報告した。
「媛様。眉輪王様が御舘を出られました。まもなくこちらに来られるのではないでしょうか?」
「……そうね」
阿由は少しでも韓媛を元気付けようとしていたが、韓媛は興味なさそうに答えた。

会いたくない。
彼の表情を見れば、きっとわかってしまう。
父と何の話をしていたのかを……。
もし、私が想像していたとおりのことをお話になっていたら……。
韓媛は、ぞくりと身を震わせた。
会わなければ、何を話したのか気になって、悶々と眠れぬ夜をすごすことになるだろう。
韓媛は脇几に肘をついて顔を伏せた。

もう、始まっているのだ。
大草香皇子が殺されてから、時の流れはある方向へ動き出している。
流れに抗うことなどできようか……。
どうなるのか……。
眉輪王は。父は。私は……。

扉の開く音に、韓媛は顔を上げた。
入ってきたのは眉輪王だった。
彼は、大王への怒り恨みとは別の何か得体の知れないものに取り憑かれたようだった。
あぁと喉の奥で息が漏れた。
韓媛は確信した。
眉輪王は、私の想像した通りのことを父と話していたのだ、と。
韓媛の目裏には軍を率いて戦う彼らと大王軍が映った。
血の海の中に無数の死者が横たわる。
その多くは、戦いにかりだされた人々……。
強大な権力に逆らうことが許されない人々の運命を容易く変えることができる権力者を韓媛は激しく憎んだ。
大王を。眉輪王を。父を……。

「……具合でも悪いのか?」
会えば必ず微笑みかけてくれる韓媛が、俯いたまま決して視線を合わせようとしないことに、眉輪王は不審を抱いた。
「眉輪王様。媛様はご気分がすぐれないので……」
側に控えていた阿由が代わって答えた。
気になるものの、あえて詳しくは聞かず、そうかと肯いた眉輪王が帰ろうとした時、
「眉輪王様……」
「何だ?」
振り返った眉輪王に韓媛は何かいいたげにしていたが、何でもありませんといった。
眉輪王は微笑みながらも不思議そうに首をかしげ、御舘を後にした。

眉輪王が出て行った後、韓媛は脇几に顔を伏せ声を放って泣いた。

遠くにいってしまった。
心はもう、遠くへ……。




――時を待ちましょう。

葛城円大臣はそういった。
大王に対抗するための力をつけなければいけないと。
待てないと眉輪王は思った。
猜疑心の強い大王がいつ攻め入ってくるかもしれない。
時節を待てば待つほど、自分の身が危うくなる……。

眉輪王は葛城円大臣と話したこと――自分が大王となること――よりも、殺されるかもしれない恐怖が勝った。

――殺られる前に……。

眉輪王はひそかに大王の隙を伺って、大王を弑虐した。
昂ぶるままに大王を殺した眉輪王は、やがて血臭の酔いから醒めて冷静さを取り戻し、そこではじめて己の犯した大罪への恐怖に囚われた。
そして、葛城円大臣の家に逃げ込んだ。

中々眠りにつけずにいた韓媛は一人で御舘のまわりを歩いていた。
暗闇の中では何一つ見ることはできないが、生まれ育った家のどの辺りに何があるのかくらいわかっている。
本当に見えないのは……人の心。
本心を知る術がないから、人々は噂に惑わされるのだ。

暗闇に慣れた目が木々の中に潜む人影を捉えた。
「……誰……?」
思わず後退る。声を出し、助けを求めようとした時、聞きなれた声が返ってきた。
「……私だ……」
ゆっくりと眉輪王は姿を現した。
強張った顔。服には返り血。
韓媛は悲鳴をこらえた。
「私はもう、終わりだ。……大王を殺したのだから」
憔悴しきった眉輪王は自嘲的な笑みを浮かべた。
「許せなかったのだ、父を殺した大王が。だが、それだけではない。いつか私も父のように殺されると思うと、殺しておかなければならぬと思ったのだ。……もう、終わりだ。 ……たかだか一時の感情すら抑えられぬ者が、大王を努めることなどかなわぬ。私は大王の器などではなかったのだ」
韓媛は目を見開き見詰めていた。
父、円大臣が眉輪王に何をいったのかを韓媛は知った。
それは、彼女自身が想像していたとおりだった。
大王が讒言を容易く信じたように、眉輪王もまた人の言葉を信じたのだ。
大王を弑した眉輪王は処刑される。
眉輪王がよくこの館を訪れていた事は突き止めてられているはず。兵士がここに来るのは、もはや時間の問題だ。
「逃げて、お願い!」
韓媛は強く腕にしがみつき、必死になって告げた。
「……逃げる? 私がか? 生き恥をさらせというのか?」
生きていて欲しいという韓媛の願いは眉輪王の誇りを傷つけた。
今まで見せたことの無い恐ろしい形相で、眉輪王は韓媛を見下ろした。
「私は死ぬだろう。だが、ただでは死なぬ。多くの命を道連れに死んでやる……」
禍々しい言葉を告げ高らかに笑った。
死に向かい行く心は、暗黒に染まることで最期の命の炎を燃やした。




大王の弟、大長谷王子(おおはつせのみこ)はこの一件を知って怒り、軍をおこして葛城円大臣の屋敷を囲んだ。
葛城円大臣は眉輪王を庇い、抵抗し続けた。
謀反者を突き出せない理由は、円大臣が眉輪王をそそのかしたと容易に考えることができた。
葛城氏は有力な豪族だ。ここで無為に叩き潰すよりも、むしろ……
大長谷王子は円大臣に密書を書き送った。

――韓媛と五処(いつのところ)屯宅(みやけ)を献上すれば、罪を許す。

大長谷王子は葛城円大臣の野望を知っていたのだ。

――眉輪王に韓媛を嫁がせ勢力を握ろうとしているのだろう。今の状況ではその夢は叶わない。私なら、お前の夢を叶えてやれる。

円大臣の心は揺れた。
眉輪王を擁して権力を握ろうとしたが、あれほど慎重にことを運ばなければいけないと告げたにもかかわらず、父を殺害した大王が許せなかった眉輪王は一人で勝手に行動を起こした。
大王を殺したと聞いた円大臣は、計画が水泡と帰したことを知り眩暈を起こしそうになった。
一時の感情を押し殺せなかった眉輪王には大王としての器などなかったのかもしれない。
そんな男を取り入った自分の過ちを激しく悔やんだ。
もう、終わりだ……。
そう思っていた時、大長谷王子からの密書が届いた。
悪くない話だ。
眉輪王を捨て、大長谷王子につくことにした。
眉輪王に騙されたといえば済むこと。
韓媛の嫁ぐ先が変わっただけのこと。大王の妻となるのはかわりない。
円大臣は上手くいい、納得させようと韓媛の御舘へと行こうとした。
その時――。
血相を変えた阿由が入ってきた。
阿由は韓媛の従女だ。
彼女は有能な従女で円大臣自身気にいっている。
沈着冷静で韓媛を常に第一に考える彼女の混乱した様子に、韓媛に異変があったと瞬く間に悟った。
それも、よくないことだ。
「……落ち着いて、話せ」
そういう自分の声がひどくかすれていた。
「韓媛様が……」
その先は嗚咽にかわり、言葉にならなかったが、円大臣には聞こえた。

――お亡くなりになりました、と。




――ひとりになりたいの。
韓媛はいった。
こんな時の韓媛には何も言わない方がいい。
どんなに気になっても、そっとしてあげる方がいい。
阿由は何も言わず、部屋を出た。

今となれば……。
何故、私は側を離れたのだろう……。

不安を覚えた阿由が部屋を訪れた時、韓媛は短剣で喉をついて絶命していた。
悪い夢にとり付かれた眉輪王や父円大臣をこれ以上見たくなかった韓媛は、自らの命に終わりを告げた。

変わり果てた娘の姿を見た円大臣はその場に崩れた。
突然の娘の死に泣いた。
この場にいた誰もがそう見えたはずだ。愛しい娘の死に泣いている憐れな父親だと。
円大臣の本心は、それだけではなかった。
これで夢が完全に終わったと泣いていたのだ。
韓媛が自殺した理由を大長谷王子に嫁ぐのが嫌だったと誰かが告げるかもしれない。
大長谷王子自身がそう思うかもしれない。
実際、円大臣は、自身の変節と嫁する先の変更を韓媛に告げていない。
だが、そう答えても、大長谷王子は許さないだろう。
葛城氏を完全に潰しにくるだろう。

もう、終わりだ……。いや、本当に終わりなのか……?
円大臣は考えた。そして、周りを見渡した。
韓媛の御舘で泣く数人の従女……。
円大臣はあることを思いついた。
最後のかけだ。慎重に円大臣は阿由に尋ねた。
「韓媛が亡くなったのを知っているのは、ここにいる私たちだけだな?」
阿由は頷いた。
まだ、希望はある。
「阿由よ……」
円大臣は大長谷王子からの密書を阿由に話した。
「韓媛と五処の屯宅を献上すれば許すと、密書が届いたのだ。韓媛が眉輪王に恋心を抱いておるのは知っておった。私もそのつもりでいたが、状況は変わった。いくら父親を殺されたとはいえ、眉輪王は大王を殺害した謀反者だ。そのような男に娘を嫁がせたくない。それに……眉輪王をかくまった罪は大きい。韓媛にも罪が及ぶかもしれない。私はこの戦で命を落とすかもしれない。だが、媛だけは助かってもらいたいと思っていた。大長谷王子の命通りに従うことに決めていたのだが……」
涙ながらに円大臣は告げた。
娘を思う父親の心に強くうたれた阿由は円大臣の申し出に頷いた。
初めは驚いた。
何故、私がと……。
しかし、ここで私が円大臣の申し出を受けなければ、葛城氏は滅亡するかもしれない。
恩ある葛城氏の終焉など見たくない。
私が葛城氏の為にできることがあるのならば……。
「私が韓媛様の身代わりになります」
阿由は告げた。
「韓媛様が亡くなられたと真実を告げても、信じないでしょう」
「しかし、阿由……、お前の身が危険になる」
「守るべき媛様はもういらっしゃいません。私は媛様のお側にいながら、何一つできませんでした。私がお役に立つならば、お願いいたします」
円大臣は笑った。まだ、夢は消えていない。欲望の為に、忠義心厚い阿由を利用した。

阿由を美々しく飾り立てて、彼女を大長谷王子に献上した。

韓媛の身代わりとなった阿由の胸には、生前、韓媛がこよなく好んだ美しい碧い石の首飾りが、午前の光を浴びてきらりと輝いた。




――私は目覚めると、本を手に取った。

葛城円大臣は下命によって娘の韓媛と五処の屯宅を献じたが、なお眉輪王をかばって戦った。
しかしついに刀折れ矢尽きて自刃した。

本が全て真実を語っているとはいえないことを私は知っていたし、特に不思議な夢を見た私は違うように感じた。
私はこう考えた。
韓媛の自殺と大長谷王子との密書を知った眉輪王は怒り、円大臣争ったのではないかと。

私は本のページをめくった。

大長谷王子は同母兄の八釣白彦皇子(やつりのしらひこのみこ)境黒彦皇子(さかいのくろひこのみこ)、従兄弟の市部押磐皇子(いちのべのおしわのみこ)御馬皇子(みまのみこ)など多くの皇族を殺して即位し(雄略天皇、倭王武)長谷朝倉宮で天下を治めた。

私が思うには……。
大長谷王子もまたいつ己が殺されるかもしれない恐怖に怯え、彼らを殺していったのではないだろうか。

さらにページをめくった。

韓媛との間に生まれた白髪命(しらかのみこと)が、父の後を継ぎ、即位した。




<完>

<参考文献>
「日本古代史講義」 笹山晴生
「日本の歴史 1 神話から歴史へ」 井上光貞
たくさん人がでてきて、こんがらがってきた方は系図をどうぞ。

「ででんのでん」のぴーすけさんより頂きました!
This short story is copyright under the law of japan and international law.
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ぴーすけ All right reserved.

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