『親愛なるアルバート・アインシュタイン』



 親愛なるアルバート・アインシュタイン

 あなたの創りあげた世界の、なんと美しく、なんと残酷なことでしょう。
 だって私たちは今も、あなたが亡くなって数百年を経た世界にいるというのに、あなたと神々の織りなす旋律に絡め取られたままでいるのですから。
 それはまるで魂の牢獄、出口のない迷路のように。

 私は今も時々思うのです。あなたが生きておられた時代に、あなたが人類史を塗りかえるほどの偉業を達成されたのは、たぶんこんな風に紙に文字を綴るというやりかたをしていたからなのではないだろうか、と。
 私は、だから時々こんな風に、あなたがしたように紙にひとつずつ文字をしたためてみるのです。特に、今日のように心が混乱し、感情が錯綜している時には。

 私はあなたを残酷だと非難しましたね。
 でも、本当を言えば、私たちはあなたの思考から、あなたの偉大な知性から、恩恵を得ている人間なのです。だから、こういう言い方は恩知らずなのかもしれません。
 でも、それでも私はあなたを残酷だと思うのです。
 あなたの描き出した宇宙の秘密、それはあまりに美しく、完成されていて、だからこそ信じられないほど残酷です。

「宇宙を創造する際に、神には選択の余地がどれほどあったのだろう……?」

 アルバート、親愛なるアルバート、私には神に選択の余地があったとは思えないのです。いいえ、選択の余地があったと思いたくないのです。もしも選択の余地があったのなら、私は、神が無慈悲だと非難しなくてはならないのですから。
 だから、これから少し私のことをお話してもいいでしょうか?
 今、風がやさしく吹き渡る緑の丘にすわっている私のことを。
 丘の頂にポツンとそびえる大樹の木陰にすわって、黄金色の午後を木漏れ日に感じながら、この手紙をしたためている私のことを。
 深い哀しみを感じながら、それでいて涙ひとつ流せない私のことを……。

***

 私が生まれたのは、星々の大海を渡る船の中でした。
 船の名前は「暁の乙女」。恒星間を光速に限りなく近い速度で航行できる恒星船です。とても大きな宇宙船で、それは同時に家族であり、企業であり、社会であり、国家なのです。
 光速に限りなく近いとはいっても、結局光速そのものではなかったし、光速を越えることもできなかったのですが、それでも船員たちは途方もなく豊かで、途方もなく贅沢な生活を送ることができました。
 それは危険の代償、という意味ももちろんありました。恒星の間を長い歳月をかけて渡り歩く、そんな危険への代償です。
 でも、本当の代償は彼ら自身が支払わなくてはならないもの、つまり、船の外の時間の流れから切り離され、船の外の人々と異なる時間を生きなくてはならない、という事実でした。
 光速で移動する物体の中と外では、時間の流れ方が違う。
 ねえアルバート、あなたはこういう言い方は好きではないでしょうね? つまり学問的な正確さを欠くといって。でも、結局、そんな速さで航行する船の乗員にとっては、理論的な正確さよりも、肌に感じる現実の方がはるかに重要なのですから、きっと許してくださるでしょう。
 時間の流れ方が違う──こんな残酷なことがあるでしょうか?
 でも、私たちはその残酷さを逆手にとって、巨万の富を得たのです。
 私たちは投資者になりました。あまねく星々の大海を渡り歩く投資者です。「天翔る投資者」、私たちをそう呼ぶ人々もいます。でも呼び方はどうでも良いですね。
 例えば、私たちはある植民惑星に半年ほど立ち寄って、そこへ投資を行います。そして別の惑星へ、数十光年の彼方の惑星へと赴いて、また投資を行います。こんな風に様々な惑星に投資をおこないながら宇宙を旅していると、最初の惑星への投資は、複利計算の魔法によって膨大な金額に達するのです。
 私たちは、現実の時間に住むことはほとんどない人間です。長くてせいぜい一年、惑星の軌道上にいる時間が、普通の人々と同じ時の流れに生きる限界なのです。それから、私たちは別の時の流れに乗って、惑星の住人たちの時間から姿を消すのです。
 やがて時が経って、私たちはもういちど姿を見せるかもしれません。投資の具合を確認し、情報を交易し、利益を回収するために。そしてその時、彼らの前に現れる私たちは、彼らと別れた時よりもほんの少しだけ歳を重ねた姿をしているのです。まるで時間の流れにとりのこされた遺物のように。まるで過去の亡霊が甦ってきたかのように。だから、私たちの投資は死者の手のように思われるのです。なにしろ、とっくに死んだはずの人間が元本と利息を取り返しに来るのですからね。
 こんな風にして、私たちは無限の富を得て、想像を絶するほど贅沢な船で宇宙を放浪しているのです。私たちは、黄金の殻をもつカタツムリであり、金剛石の巻き貝に住むヤドカリなのです。
 例えば、もしも惑星がひとつ欲しいと思ったら、あるいは太陽がひとつ欲しいと思ったら、私たちがそれを買い取るために支払う金額は、私たちの財産の1パーセントにもならないでしょう。私たちは、すべての人類の価値を総計した以上の富を有しているのですから。

 親愛なるアルバート、これが私たちです。
 あなたの描き出した宇宙で、あなたの理論と法則に従って生きる、まさにあなたの子供たちなのです。
 私たちはあなたから全てを得た人間です。だから、あなたを残酷と非難するのは、やはり恩知らずなことなのでしょうね。
 けれど、親愛なるアルバート、私は代償のことを話さなくてはなりません。
 全てを聞き終えて、それでも、あなたは私を恩知らずと非難されるのでしょうか……?

***

 私が十二歳になった時、「暁の乙女」はある植民惑星に到着しました。
 勘のいいあなたならお気づきでしょうが、今、私がこの手紙をしたためている惑星がそうなのです。
 私たちは惑星軌道上に停泊して、交易と投資を始めました。そのころ、この惑星は開発の初期段階で、多くの投資を必要としていました。こういう惑星には、大きな見返りが期待できるものです。
 ところで、長い年月を、いかに大きな船とは言え、閉鎖された空間で過ごす人間は、二つの種類に大別されるようです。つまり、広々とした大地を目の前にして、そこで羽根を延ばしたいと思う人間と、逆に人間関係を閉鎖して船内に引き籠もってしまう人間と。
 幼かった私には、どれほど快適であっても船内にこもってしまう大人たちがまるで理解できませんでした。もちろん、生まれて初めて見る緑なす惑星に心ときめかせていたことは確かです。それでも、年寄りの多くが絶対に船から大地に降りようとしないことは不可解でした。
 今は……今は彼らの気持ちがわかります。でも、そのころの私はたった十二歳だったのですものね。
 それで、私は若者たちのグループと一緒に船を降りて、惑星で生活してみることにしました。両親は私の選択を止めませんでした。つらいこと、つまり私たちの選んだ豊かさの代償を教えるのは、むしろ幼いうちが良いと思ったのかもしれません。
 初めて連絡船の乗降口が開いたとき、その感覚をどう表現したものでしょう。
 今日と同じように、黄金色に煌めく日差しが燦々と降りそそぐ午後でした。まだ木々はまばらにしか茂っていませんでしたけれど、惑星の地表は緑の絨毯に覆い尽くされていました。その香気の素晴らしかったこと! 船内の緑地帯を歩くときにさえ、これほどの緑の匂いを感じたことはありませんでした。若い惑星だけが持つ力強い気配があたりに満ちていました。
 そして無数の生き物。生態系は未完成だったために、現在ほど多様な生き物に満ちてはいませんでしたが、それでも船内で見ることのできる生き物の数など、遠く及びませんでしたから。私はすぐに現地の細菌によって軽い風邪をひきましたけれど、それも数時間で解消できるものでした。
 そして夜、重力と大気の井戸の底で見る星々があれほど美しいものとは、その時まで私はまるで知りませんでした。数え切れない数の星々が、チカチカと際限なく瞬いて、ダイヤモンドの微粒子をばらまいたような銀河を描き出していました。そして、時折、視界のすみを流れる星の煌めき。軌道上の「暁の乙女」も見えました。その時は、心から船に残った人々を軽蔑したものです。
 そして朝、命そのものを満たしたような深い霧があたりを覆い尽くして、やがて地平の彼方に茜色の朝日が昇ってきた時の感動をどう表現すれば良いのでしょう? ミルクのような霧は次第に赤みを帯びて薄れていき、濃淡に色をかえながら地平の彼方まで続く若草色の大地が現れるのですから。「暁の乙女」で見たどんな映像でさえ、これほど美しく、また鮮やかではなかったのです。
 そして数日を草原で過ごした後、私たちは都市へと向かいました。
 都市は、開発がはじまってすぐに建設が開始され、そのころもまだ建設が続いていました。とはいえ、その画一性は、完全に閉鎖された船内で生まれ育った私には、さして物珍しいものではありませんでした。もちろん高層建築は初めて見るものでしたが、中に入ってみるとそれがつまらないものだとすぐわかりました。つまり、それは「暁の乙女」の居住区の、哀れほど貧しいレプリカにしか思えなかったのです。
 けれど、都市にはひとつだけ、驚異が待っていました。
 それは人間でした。
 開発初期の惑星の、唯一の都市──だから、今考えるとそのころ感じたほどに人口が多かった筈はないのですが、それでも、船内の数千倍の人間に私は興奮していました。
 大通りを歩くと、人並みが途切れることなく続いて、それだけでも驚きでした。無数の顔、無数の声、無数の容姿、無数の足音……。
 通りのショーウィンドーに並ぶ商品は、船の豪奢な品々に較べるべくもありませんでしたが、私はその珍しさに溜息をもらしながら、飽くことなくいつまでも眺めていたものです。
 そしてその時、彼と出逢ったのです。
 少年、当時の私と同い年くらいの少年でした。ショーウィンドーを夢中で眺める私に、後ろから声をかけたのが彼でした。
 どうも彼は友だちと賭をしていたようです。つまり、勇気を試すために私に声をかけてみよう、もしも私が誘いに乗ったら彼の勝ち、もしも断られたら彼の負け。名誉と、それにちょっとした小遣い稼ぎになる、というわけでしょう。
「ねえ、キミ、どこから来たの? このあたりじゃ見かけないね。ノース・プールの入植地から来たの? もし暇だったら、僕、案内してあげようか?」
 二十歳になった今では、はっきりと憶えていませんが、こんな風だったと思います。
 少年の共通語の訛りと、やわらかな金髪、緑色の瞳に、私は惹かれました。
 はじめ、私は少年と彼の友人たちと一緒に、そのささやかな都市を探検してまわりました。例えば集積場に立ち並ぶ大倉庫の中、宇宙港の建設現場、高層複合建築の最上階、巨大な貯水池のほとりで釣りに興じたこともありました。今思えば、これら全てを一日で回れたはずがないのですが、それでも少年たちと過ごした最初の日の想い出は、こうした都市の驚きと、私の驚きに笑いあう彼らの声なのです。
 やがて彼らは、ひとり減りふたり減りして、夕暮れには私と少年と、ふたりだけになりました。
「……僕はキミのことを少しも聞かなかった。だから、明日はキミのことが聞きたいな。もし……明日も会えるなら」
 茜色の空を背景にして、影絵のような少年が私にいった言葉をよく覚えています。
 その時、私はどう返事をしたのか憶えていません。たぶん、肯いただけだったのでしょう。うれしさ、そしてすこしの恥ずかしさ。お互いに、そんな意識があったのだと思います。
 次の日も、その次の日も、私は少年と待ち合わせをして遊びに出かけました。
 そのころの都市は、子供の足でも数時間歩けば終わってしまうほど小さなものでした。
 それで、私たちは都市のはずれで、遠くに高層建築を見ながら走り回ったり、転がったり、ケンカをしたり、お互いのことを話したりしました。
 私が「暁の乙女」に乗って宇宙を放浪しているという話は、少年をいたく感心させました。あるいはまた、「暁の乙女」の驚くべき生活も。
 少年の生活の多様性、人間関係の濃密さは、私にとっては新鮮な衝撃でした。開拓地というものは、それがどこであろうと幾分かの荒っぽさを含んでいるもののようで、少年が自慢げに話す武勇伝を、私は一言半句疑うことなく信じ込んだものでした。今考えれば、どうもありえないような話も、そのころの私には彼の生活にこそ似つかわしいことに思えたのです。
 草原の丘に二人で寝そべって、青空と吹き流れてゆく白い雲を見て、互いの知っている誰彼に似ていると言っては笑いました。
 地面の下にも、あるいは地表を覆う大気の中にも、あらゆる場所に秘密があるように思えて、私たちはありとあらゆる場所に鼻面を突っ込んで秘密を知ろうとしました。
 私は、雨が降ればはしゃぎ、虹が見えれば感動して泣きました。
 そのころの私は、船という閉鎖された空間の乏しい人間関係しか知らず、広大な地上世界の驚異など想像もできない、純粋な子供だったのですから。
 半年の間、少年と過ごした長すぎる夏休みでした。
 全ての驚異は少年がもたらしてくれたもので、彼は尽きせぬ驚きの源泉でした。常にやさしく教えてくれて、どこへでも望むところへ連れて行ってくれる……そんなとき、互いにテレながら、けれど手を繋いで歩いたものです。その時の手のぬくもりを、私は今でも思い出すことができるくらいです。
 やがて夏が終わろうとする頃、私と彼の関係は、幼い友情から一足飛びに恋へと変わりました。愛情と言うには幼すぎ、恋とさえ呼べないような関係だったのですけれど。
 例えば、ただ互いに手を繋ぐだけ、オトナを真似てつたないキスを交わすだけ。それは試みになされる行為であり、免疫をつけるための通過儀礼にも似ていたかもしれません。
 でも、互いに見つめ合うだけで、それだけで互いを大切な存在と認めあい、必要としていることがわかったのです。大人には大人の恋があり、愛があるように、子供にも子供のそれはあって、ままごと遊びの延長線上であろうと、それは犯しがたく神聖なものだったのです。

 そしてある日、どこか秋めいた気配が漂う午後、少年はいつになく真剣な口調で、少し怒ったように言いました。
「どこへも行くな」と。
 その時の彼の眼差しを私はよく憶えています。深い緑の瞳に涙をにじませて……。
 少年は誰かから、私が近いうちにこの惑星を去ることを聞かされたのでしょう。
 私が何も言えずにいると、彼は、
「……俺と結婚しよう」
 と言いました。
 十二歳が十三歳になり、「僕」はいつか「俺」にかわっていました。
 初恋は通過儀礼、だから成就しえない。そんなことをいう人に、この時の彼の真剣な瞳を見せたいと、いつも思うのです。少年は、悩み抜いた末に、一生を私と一緒に過ごそうと、幼いなりに本気でそう考えてくれたのだと、今でもそう思っているのです。
 愛情とか責任感とか、そういう抽象的なものではなく、純粋に互いが必要だと思えた瞬間は、何物にも代え難いほど大切なものでした。
 そして私は、何も答えませんでした。
 私は何も答えることができませんでした。
 何も答えることができないまま、私は黙って連絡艇に戻りました。
 最後に少年がいった言葉が、彼のまっすぐな瞳と共に胸の中に残っていました。
「俺は待ってる。いつまでも、待ってるからな!」
 連絡艇が地上を離れ、大気圏を脱出する頃になって、私は泣き出しました。
 どうしても戻るのだと、戻って答えを言わなきゃいけないんだと、そう言って泣きました。
 もしもその時、連絡艇が引き返せたなら、私は彼に何を言えたのでしょうか。
 たぶん、引き返せたとしても何も言えなかったに違いないと思います。でも、私は彼と離れるのが悲しくて、連絡艇から見える地表の緑が少年の瞳を思い出させて、それでただただ泣きました。
「いつか私はこの惑星に戻ってくるのだから、絶対に彼に答えなければいけない。
 きっとその時、私はちゃんと大人になって、彼も大人になっていて、私は彼に応えることができる。その時まで、彼が待っていてくれるなら……」
 連絡艇から「暁の乙女」に戻った私は、自分自身にそう言い聞かせて、あふれ出る涙と嗚咽を無理矢理おさえつけたのです。

 ああ、親愛なるアルバート、死せるあなたの手が描き出す美しくも残酷な未来図を、その時の私は知らなかったのです。
 ただいつか、大人になったとき、この星に戻ることができると、単純にそう信じて……。

***

 そう、私はここに戻って来ました。初めは地上に降りるつもりはなかったのですが、緑なす大地を軌道の高みから見下ろしたとき、はるか以前、もう七年も前に別れた少年の印象的な瞳を思いだして、気がつけばここに立っていました。
 もちろん、私はとっくに知っていました。
 今、この惑星に私の知っている人間はほとんどいないだろうということを。私がたった七年を過ごしている間に、この惑星は八十年近い年月を過ごしているということを。
 親愛なるアルバート、はじめてあなたの描いた宇宙に触れた瞬間の衝撃は、私にはあまりに強すぎるものでした。
 私が二十歳になったとき、彼の想いに応えられるようになったとき、彼はもう九十歳を越える歳を迎えているという事実──それも、彼が生きていたら、という話なのですから。
 これほど残酷なことが他にあるでしょうか?
 夏色の日々にかわした想い、心通わせた黄金色の午後は、時の河に隔てられてはるか遠く流れ去ってしまった──ただ、私ひとりを岸辺に置き去りにして……。
 私たちは人類が住むすべての惑星を買い取ることができるほどの富を持っているのに、ほんの少しでも時の流れを遡ることはできないと言うのですか?
 私たちは人類全ての価値をはるかに凌ぐ富を有しているのに、あなたが何百年も昔に設定した限界点を一ミリたりとも越えることができないのですか?
 どれほどの富を得ようとも決して得られないもの、時間を飛び越えることはできても決して遡ることはできないということ──たぶん、それが私たちの支払った代償なのでしょう。

 私は地表に降りてみて、でもすぐに少年を捜すのは止めました。
 彼がもう生きていないと知ることはつらすぎるし、といって死を間近にした老人に逢えたとして、私は何を答えればいいのでしょう?
 昔は私たちも若かったね、と?
 あれが初恋だったのです、と?
 最初で最後の恋でした、と?
 でも、よく考えてみれば、実はそんなことは些細な事だと気がつきました。
 私が本当に恐れているのは、ありえないと思いながら、けれど心のどこかで恐れているのは、深い緑の瞳を持った少年が、今でも私を待ち続けているという可能性です。
 私の七年と、彼の八十年。
 もしも私がそんな少年に逢うことがあれば──私はどうすればよいのでしょう?
 また答えを告げずに、そのまま「暁の乙女」へ戻ればよいのでしょうか?
 未来永劫、その想いを十字架にして、星々の荒野を渡り歩けばよいのでしょうか?

 今、私は緑の丘に腰をおろして、午後の木漏れ日を感じながら、この手紙を書いています。
 ずっと遠く、七年前とは較べものにならないほど大きな都市が、青空を背景にして誇らかにそそり立っているのが見えています。

 今、丘の向こうから歩いてくる連絡艇の乗員の姿が見えました。
 きっと私を迎えに来たのでしょう。
 もうすぐ、私は行かなければなりません。
 この手紙はここへおいて行きます。
 いつの日か、あなたがこの手紙を読んでくれることを信じて。
 そしていつの日か、あなたが答えてくれることを信じて。


 親愛なるアルバート・アインシュタイン

 あなたは数百年前、今日のような悲しい午後が来ることを知っていたのでしょうか?
 全てを知っていて、それでもあなたは神に選択の余地があったというのでしょうか?


 親愛なるアルバート・アインシュタイン

 いつの日か、人は時の河を遡ることができるのでしょうか?
 いつの日か、人は光速を超えることができるのでしょうか?


 親愛なるアルバート・アインシュタイン

 いつの日か、私は答えることができるのでしょうか?
 いつの日か、私たちは答えることができるのでしょうか?


 親愛なるアルバート・アインシュタイン

 いつの日か、私たちは──
 いつの日か──




 

BacK