『麦酒』

 

 大学に入って、はじめてコンパと言うものに出席することになった。
 学科の先輩たちとの初顔合わせという意味もあって、それで出席する事にしたのだ。
 費用は、二次会費を含めて二千円。場所は私鉄駅近くの安ホテルの広間だった。
 一次会には学科の先生も数人出席していて、比較的おだやかに進んだ。
 二時間ほどして一次会がお開きになると先生たちは帰ってしまい、先輩達と新入生とが二次会になだれ込む。
 二次会の場所は、歓楽街の一角にある大きな居酒屋だった。確か地元にもこんな店があったけれど、入るのはもちろん初めてだった。
 その「豆蔵」で、コンパというものがどういうものか、はじめてわかった気がした。
 店の中は学生以外にも多くの人でごったがえしていて、酒の香と、酒のつまみの匂いと、ひといきれがごちゃ混ぜになった、何とも名状しがたい匂いで満ちていた。
 赤い顔をした若いサラリーマン、卓に突っ伏しているOL、仲良く枝豆を分け合っている男女、トイレの前で足踏みしている中年男、両手にビール瓶をかかえて調理場へ急ぐアルバイトの店員……。
 あまりの騒々しさに、まるで店全体がワーンと音を立てているような、そんな感覚がする。
 座敷へあがって、新入生と先輩が隣り合うように交互に座るといよいよ二次会の始まりだ。今回は、一次会のような司会も挨拶をする人もいない。ただ、それじゃあはじめようか、という誰かの一言で、座敷全体でビールの勧め合いがはじまる。
 隣り合う者同士がぎこちなく始めた会話も、酒という潤滑油が入った為か、たちまち滑らかに進みはじめた。

 何度目の席替えだったのか、お酒が入っていたからはっきり覚えていないけれど、私はいつの間にか隣に座っていた男の先輩にビールを勧めていた。
 先輩はかなりお酒が入っていたはずだけど、頬に微かな赤みを射している以外に、酔いを示す兆候はなかった。
 私の方はというと、相当酔っていた、と思う。今ひとつ記憶がはっきりしなけれど。
 たしか、先輩はお酒に強いですねぇ、とか、そんなことを呂律もまわらない口調でしゃべっていたはずだ。その後、どこかの間抜けがイッキコールをわめきはじめて、大きな卓を右回りにイッキの連鎖がはじまった。
 女の子たち、特に新入生は、あたしはちょっとなどと言って遠慮して、けれど私は初めて飲んだお酒に脳を冒されていたのか、大声で学籍番号と名前を叫んで大ジョッキになみなみと注がれたビールをイッキに飲み干した。
 そこでいったん私の記憶は途絶えている。

 気が付いたとき、私の体はポカポカとあたたかくて、なんだかフワフワした感覚の中にいた。ゆっくりと視界が明瞭になって、実際に自分が揺れている、しかもゆっくりと前進していることに気が付いた。
 パチパチと目を二三回瞬かせて、どうにか意識がはっきりしたとき、自分が誰かに背負われていることがわかった。
 すみません、自分で歩きますから、とでも言ってすぐに降ろしてもらわなくては!
 頭では、はっきりとそう判っているのに、なぜか言葉が口に出せない。
 だれか知らないけれど、男の人の大きな背中と、ツルツルした布地の感触、そこから伝わってくるあたたかさ、そして目の前の後ろ髪からただよう石鹸の香り。
 思わず、前にまわした腕にキュッと力をこめて、私はふたたびトロトロとした心地よいまどろみに落ちていった……。

 それが、彼との初めての出逢いだった。
 まったくロマンティックなものではなかったにせよ。

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