◎その他・分類不能の部屋◎

ここでは、単独のジャンルを形成するほど評が増えないと思われる本、
あるいは内容が複数のジャンルにまたがる本の中から、
塩野泉のお気に入りを紹介します。

 


『アルハンブラ物語』(上・下)
アーヴィング著/平沼孝之訳/岩波文庫/上:620¥下:720¥

 スペインの南、グラナダの丘に現在もなおその偉容を残すアルハンブラ宮殿。
遙かな昔、まだスペインがイスラム教徒達の手中にあった頃、一二三二年にナスル朝ムハンマド一世朱髯王のもとでアルハンブラは建設された。その後幾多の戦乱の世紀を経て今に残るアルハンブラは、建設当時から、イスラム教徒・キリスト教徒の無数の王侯の手により改修が加えられ、現在にいたる……。

 そのアルハンブラに偶然の幸運から滞在することになったのが本書の著者アーヴィングでした。かれはこの奇跡の産物のような美しい城に滞在しながら、遙か昔のムーア人達の伝説に思いを馳せたわけです。

 この本には、著者の滞在したアルハンブラでの日々が、幻想的な伝承・伝説と共に叙情的に、詩情豊かに描かれています。

 フクロウとオウムをおともに、恋の巡礼に出かける王子。
 ムーア人の遺産を偶然手に入れるお人好しの水売り。
 亡霊の遺した銀のリュートを奏でる乙女。
 片腕の総督、豪傑、老兵士、煉瓦職人の冒険、思慮深いニンフ像の伝承、星占術師の伝説……。

 アルハンブラの処々に伝わる数え切れない伝説を、アルハンブラ滞在の記中にちりばめて、一層神秘的な、魅力的な紀行文(滞在記)になっています。画才もあった著者は美しい記述で、この本の発売当時、欧州全土にアルハンブラ・ブームを巻き起こしたとか。

 ファンタジーが好きな方なら、ほぼ間違いなく気に入ると思いますよ。



『失楽園』(上・下)
ジョン・ミルトン著/平井正穂訳/岩波文庫/上・下:720\


── 一敗地に塗れたからといって、それがどうしたというのだ?すべてが失われたわけではない……!

 至高者たる神に背き、堕天となって、この世の果ての暗黒の中へ堕とされた大天使。永遠の生命を持つが故に、未来永劫、苦界にあって荊棘の中で苦しみ続ける罰をうけたサタン。
 しかし彼は、傲然と、なお全能者とその息子に次ぐ大いなる威を示しながら、麾下の堕天使の軍団を叱咤する。
 かつて栄光と光輝に包まれていた彼らに、これほどの苦しみと屈辱を与えた神への復讐はいかにして成されるべきなのか……?
 激しい焔を吹き上げ、焼け爛れた肌を氷らせる凍てつく烈風の吹き荒ぶ地獄の大地。その大地の上で、堕天使たちは群れ集い、討議を開始した──。


 この物語は英国の作家・詩人であるジョン・ミルトンによって1667年に発表された、聖書の「創世記」をもとに書かれた壮大な叙事詩です。
 作者であるミルトンはそれこそ波瀾万丈の人生を送った人物で、一度は死刑の宣告まで受けたほど。彼の略歴を書くだけでも一冊本が書けてしまうことでしょう。だから、ここでは彼の生涯には触れません。
 この物語には、その深い思索と壮大な内容のため、無数の解説・論評がなされてきました。特に、著者の人生や時代背景(清教徒革命など)との関わりからです。
 けれども、まだこの物語を読んだことのない方、どうか難しく考えないでほしいんです。
 物語に潜む深い哲学的思索とか、隠喩・暗喩、あるいは神学論など、一切無視してかまいません。
 何よりも、これは叙事詩であり物語であって、天上と地獄、神と人と堕天の織りなす壮大なファンタジーと考えてしまいましょう。流麗な筆致と凄まじい想像力が生みだした、史上希にみるファンタジーの傑作だと。深い思索は、楽しんだ後でも全然構わないですものね。

 この物語の魅力は、何と言ってもその視点。
 堕天使サタンの目線で語られる物語など、当時の人々には考えることも困難だったのではないでしょうか。実際、この物語はあくまでも絶対者たる神や天上の栄光を讃え、堕天使サタンとその一党を悪と断じつつ、サタンの目線で物語をすすめることで、読み手を物語深くに引き込み、読み終えた時に読み手が浄化と希望を得ることができるように書かれています。

 けれど、この物語を読むたびにわたしは思うのです。
 悪ほど魅力的な主役はない、と。

 強大であればあるほどに、悪はその魅力を増すような気がしてしまうのは、わたしだけでしょうか?コセコセした小悪にはただ嫌悪と不快を感じるだけです。
 ひとりを殺せば犯罪者、千人を殺せば英雄
 この言葉は、わたしとは全くことなる意図(つまり反戦)で語られたもので、現実においてこの言葉が真実であり、わたしたちが胸に刻んでおくべきものであることは明らかです。
 しかし、物語のなかではどうなのでしょう?
 物語における巨大な悪は、特にこの物語では、その巨大さ故に魅力的に見え、その野心と目的の壮大なるために崇高にさえ感じられ、そして必ず敗れ去るさだめにあるが故に切なさすら感じられるように思うのです。

──人間よ、恥を知れ、とわたしは言いたいのだ!呪われた悪魔でさえも、悪魔同士で固い一致団結を守っているのだ、それなのに、生けるもののなかで理性的な人間だけが、神の恩寵を受ける希望が与えられているにもかかわらず、反噬(はんぜい)しあっている。
 神が、地には平和あれ、と宣うているにもかかわらず、互いに憎悪と敵意と闘争の生活にあけくれ、残虐な戦争を起こしては地上を荒廃させ、骨肉相食んでいる始末だ──

 ミルトンは、堕天使たちを悪の権化、おぞましい存在として描いていますが、しかしこんなくだりを読むとき、この人は単なるキリスト者ではないと感じます。
 いったいこの人は悪魔を賛美しているのか、とさえ思うくだりもあったりして。
 もちろん、本当に悪魔を賛美しているのではないわけですが、しかし人を悪魔にもおとると断じるあたり、ただものではないと思ったりします。特にこの叙事詩が書かれた時代を考えると。

 繰り返しになりますが、どうかまず手にとってみてください。難しく考える前に、読んでみてください。格調高い文章ですが、読みやすい現代語訳です。
 読み終えた時には、きっと「面白かった」と感じてもらえるものと思います。


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