◎歴史物語の部屋◎

ここでは歴史物語に分類される(と、塩野が思う)本の中から、

塩野泉のお気に入りを紹介します。


『ローマ人の物語W・X』
塩野七生著/新潮社/2900\3000\

 この本は、ローマに在住の作家、塩野七生が年一冊のペースでローマ人について書き下ろすというもので、現在[まで出版されている。

 知力ではギリシャ人に劣り、
 体力ではケルト・ガリア人に劣り、
 技術ではエトルリア人に劣り、
 経済力ではカルタゴ人に劣るのが、
 自分たちローマ人であると、自ら認めていたローマ人があれほどの大帝国を築き、かつそれを維持できたのかを描く、気宇壮大な物語である。

 著者の塩野七生さんは、イタリア語に堪能で、原典資料に直接当たることで古の人々の息吹を伝える見事な文章をものしている。
 塩野さんは、イタリアを舞台にした歴史物語を数多く出版されており、どれもがじつに見事なできばえである。また、エッセイにおいて示される卓越した識見や鋭い感性は圧倒的なものである。

 ただし、この『ローマ人の物語』は、初心者には少々難解かもしれない。
 『ローマ人の物語』というシリーズタイトルからもわかるように、本書で取り上げられるのはあくまでローマ、ローマ人であって、個人が極端にクローズアップされる他の歴史書とは趣を異にする。それが初心者にはややとっつきにくくなる原因と思われる。特に、Tなどは、血沸き肉踊るという小説ばかり読んできた人には退屈に感じられるかもしれない。そうした人々には、まず『ローマ人の物語W・X──ユリウス・カエサル』から読むことをお薦めする。

 W・Xはルビコン河を越える以前のカエサルと、越えて後のカエサルを描いている。つまり、主役は「ユリウス・カエサル」という個人なのだ。この圧倒的な個人を描くことなくローマ人を描くことは、いかに塩野さんでも不可能だ。なぜなら、カエサル以降のローマはすべからくカエサルという巨人の事跡・業績の上に築かれたからである。

 歴史は、あくまで大衆のものであり、個人の影響力など微々たるもの。しかし、この歴史という怪物は時に人類史そのものを左右するような、あるいはその時代の全てを体現させるような巨大な「個」を産み落とす。アレクサンダー大王、チンギス・ハーン、イエス・キリスト、仏陀……。
 それら数少ない人々の一人は、間違いなくユリウス・カエサルであろう。

 こうして、ユリウス・カエサルという史上の巨人をとりあげた『ローマ人の物語W・X』はシリーズのなかでも最も読みやすいものとなった。つまり、特定個人を中心にしているために見通しがよく、感情移入もしやすいからだ。

 もしも、この二冊でローマに関心興味を持ったなら、あるいはなぜユリウス・カエサルという巨人が生まれることになったのか知りたくなったなら、その時、Tから読み始めればいい。

 何しろ、塩野さんの著作である。例えばTとて決してできが悪いとか、そういうことではないのだから、読み始めたら止められなくなることは保証できる。



『麗しの皇妃エリザベト──オーストリア帝国の黄昏』

ジャン・デ・カール/三保元訳/中公文庫/880\


 どんな立場の人であろうと、複雑でない人生などありえないし、剥きたてのタマゴのように単純な人格などありえない。けれども、この皇妃のように複雑な人格と波瀾に満ちた生涯というものは、そうそうあるものではないと思うのだ。

 オーストリア帝国とハンガリア王国という二重帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフにみそめられた少女は、策謀と悪意が渦巻く宮廷へ入ることを余儀なくされた。そこで次々にシシ(エリザベトのこと)の前に立ちはだかる壁。彼女はときにその壁を乗り越え、ときにその壁をうち砕き、そしてときには壁をまえにしてただ立ちつくす。

 生涯を通して美しくあること、痩身であることに執念を燃やし、体重50kg、ウエスト50cmであり続けようとした女性。
 しばしば奇矯な振る舞いに走って周囲を驚かせ、また圧倒的な美貌と教養に裏打ちされた知性でハンガリアをオーストリア帝国に繋ぎ止めた女性。
 そして後半生を覆う不幸と不吉、喪服のような黒衣を常にまとい、列車でヨーロッパ中をあてどなく彷徨い続けた女性。

 おそらくは、あまりに時代に先んじた意識と美しさ故に、滅び行く定めにあったオーストリア帝国の皇妃であったが故に、そしてあまりに劇的な最後を迎えることとなったが故に、この女性は半ば神格化されて、伝説の存在になった。

 この皇妃について、著者のジャン・デ・カールは深い敬意と愛情をもって描き出している。おそらくは、著者の愛情の深さ故に、あばたもえくぼと言おうか、判官贔屓と言おうか、ともかくそういった側面があるのは否定しない。
 けれど、ともかく綿密な調査と関係者へのインタビューから構成された本書は大変読み応えのある、内容の深い伝記物語となっている。だからこそ、読み進めるうちに読み手はこの皇妃に魅了されてしまう。

 皇妃の旅先での非業の死を知らされたとき、夫であるヨーゼフの悲嘆は深く、その言葉は読み手の涙を誘う。
 皇帝は一九一六年一二月の死のその日まで、繰り返しこう言い続けたという。

「わたしが皇妃をどれほど愛していたかは、誰にもわからないだろう……」

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