◎論集・専門書◎

ここでは論集・専門書に分類される(と、塩野が思う)本の中から、

塩野泉のお気に入りを紹介します。

 


『唯脳論』
養老孟司著/ちくま学芸文庫/880\

……我々は、始原のころ、例えば洞窟や岩棚の下に起居して雨露を凌ぎ、動物の毛皮を纏って寒さを凌いだ。つまり我々を取り囲む全てのモノは自然だったのである。
 翻って現代の、特に都市生活はどうか。周りを取り囲む全ては人間の手で作り出したモノである。建築物も、道路も、食品も、何もかもが人の手による。人の手、即ち脳の思考の産物である。文明の進歩とは、極論すれば、自然を人の手によるモノに置き換える作業であり、つまりは脳の思考の産物に置き換える作業である。すなわち、現代の都市生活者は、脳の中に暮らしているとさえ言える……

唯脳論を私なりに要約してみるとこんな感じになるだろうか。
我々の作り出す(創り出す)全ては脳による以上、我々は脳の中に生きているに等しい。
「世界は脳の産物」考えてみれば、当たり前である。

唯脳論。

当たり前と言えばそれまでだけど、その当たり前のことに我々はなかなか気づかない。
古代ローマの誰かがいったように、
「人は、自分の見たいと思う現実しか見ない」
のかもしれない。

私にとっては、世界観やパラダイムの転換の契機になりかねない一冊でした。


『ペンギンたちの不思議な生活』
青柳昌宏著/講談社(BLUE BACKS)/780\

 塩野は海に棲む生き物、特にイルカ・クジラ(これらは同じクジラ類ですが)そしてペンギンが大好きなので、ペンギンの何とも愛くるしい写真が装丁に載っている本を見つけると、ついつい手に取り、あげく購入してしまうという、なんともやっかいな習性を持っています。

 この『ペンギンたちの不思議な生活』という本、じつに愛らしいコウテイペンギンの成鳥とフワフワの雛鳥(?)が真っ白い氷原の上にちょこんと並んで立っているいる写真を装丁に用い、私のこころをガッチリと捕らえて、書店のカウンターへと運ばせる事に成功した一冊です。
 まあ、買った経緯はどうあれ、私のようなペンギン初心者には、まさにうってつけの一冊でした。

 著者の青柳先生は学校の校長をする傍らで、本業の余暇に南極に出かけてペンギンの観察・研究に勤しんでいるという、まあ少々かわった先生です。

 内容も、ブルーバックスにふさわしく、初心者にむけて書かれているのでわかりやすいです。
「ペンギン豆図鑑」での一六種の紹介からはじまり、ペンギンの名前の由来、身体構造、ペンギンの生涯、と続きます。ペンギン求愛論(恍惚のディスプレー)、子育て論、服飾論、頭飾り論、そもそもの起源論、ペンギン語と来て、最後に、最新の研究成果をわかりやすくまとめてあります。

 わかりやすくとも重要な所はきちんと押さえてあるし、専門的に勉強してみたいという気を起こさせる未解明な部分もきちんと明記し、また先生や研究者の現段階での見解をも述べておられます。

 全体を通して、ペンギンへの学究的な関心と深い愛着・愛情との調和が感じられることも好感が持てる一因でしょう。
 じつにわかりやすく、またサバけた文章でペンギン初心者のための一冊と申せましょう。

 ちなみに、著者の青柳先生はペンギンの研究支援やペンギン保護の活動を行っている団体を支援するためのNGO「ペンギン基金」の運営にも携わっておられます。

「遊び心を大切に、顔をしかめず、本職を大事にしながら、身の丈ほどの支援を世界のペンギンたちに」という趣旨の基金(NGO)だそうです。
スバラシイ!


『ゲーデルの哲学 ── 不完全性定理と神の存在論 ── 』
高橋昌一郎/講談社現代新書/680\

 十九世紀から二十世紀初頭にかけて活躍した哲学者・物理学者・数学者たちの人生の、何と面白く魅力的なことだろう。ウィトゲンシュタイン、フェルミ、ノイマン、アインシュタイン……。いずれも現在に至るまでその功績の巨大さを讃えられ、今後も各界の巨人として大きな影響を与え続けるだろう人々だが、その人間性や人格の魅力的なことはどうだろう。それは良くも悪くも異彩をはなち、それ故に理論・理屈のわからない人々をも魅了してやまない。そうした人々の中で、わたしがもっとも興味深く思う人物のひとりは、間違いなくゲーデルだ。

”アリストテレス以来の天才”(オッペンハイマー)
”アリストテレス以来と言うくらいでは、ゲーデルを過小評価しすぎだ”(ジョン・ホイーラー)
”私が研究所に行くのは、ゲーデルと散歩する恩恵に浴するためである”(アインシュタイン)
”時間と空間をはるかに越えても見渡せる不滅のランドマーク、二十世紀最高の知性”(フォン・ノイマン)

 当代きっての天才たちからこれほどの賞賛を受けたゲーデルという人物は、たしかにこうした言葉を納得させるだけの巨大な業績をあげている。二十三歳で完全性定理を、翌年には不完全性定理をそれぞれ証明し、三十二歳で「選択公理と一般連続体仮説の無矛盾性」を証明、 四十二歳で「回転宇宙論解」と呼ばれる重力方程式の新しい解を発見、四十五歳でおこなった講演で「数学的実在論」と「反機械論」を表明、死の八年前には神の存在をも「証明」したという噂が囁かれた。主な業績をみるだけでも、哲学、論理学、数学、物理学など、驚くべき範囲にわたっており、しかも全てが「その道の専門家」が一生を費やしてようやく見いだせるような、そんな発見ばかり。

 わたしは正直に言ってこれらがどのようなものなのか、内容や実体について、あるいはその意味するところについて少しでもわかったという自信はない。ゲーデルの最も有名な「不完全性定理」について、この本は様々な例題やパズルを用いて平易に理解させようと試みているけれど、わたしにはその千分の一も解ったといえる自信はない。けれども、これが「人間の理性一般の限界を明らかにした」(オッペンハイマー)という評から、人類の世界観を根底から覆すものだということはわかる。わたしはゲーデルの言っていることは理解できないけれど、彼の偉業と功績は余人の評から理解できる。しかし、わたしがこの本を読んで最も印象深かったのは、こうした定理や理論以上にゲーデルという人間そのものだった。

「不完全性定理を証明したために彼は病気になったのか、あのような業績のためには病気が必要だったのか」(フルトベングラー)

 この言葉が端的に現すように、ひとりの人間としてのゲーデルはその異常さ故にとても魅力的だ。たとえ理論理屈は理解できなくても。

 一九七八年、七十一歳で亡くなったときのゲーデルの死亡診断書には、死因として「人格障害による栄養失調、および飢餓衰弱」と記載されていたという。理性と感性をアンバランスに支えることで辛うじて精神を保ち、一九五二年以降事実上の隠遁生活を送り、その間に書かれた「神の存在論的証明」について学会で噂され、自殺願望、偏執症、神経衰弱、最後は毒殺されるという強迫観念に縛られての餓死。

 あれほどの業績は、彼の生涯を彩るこうした「異常」と無関係ではなく、そうしたこともあって彼の生涯は驚くほど魅力的に見える。

 この本は、あくまで不完全性定理についての誤解を解き、また平易にこの定理を解説しつつ生涯と業績を述べるものだが、わたしはゲーデルという天才の人生に惹かれ、そしてそれを興味深く読んだ。

 「神は与え、奪うもの」

 ゲーデルの人生を知るとき、この言葉は実感として迫るものがあるように思う。


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