『ノーストリリア ──人類補完機構──』
コードウェイナー・スミス著/浅倉久志訳/ハヤカワ文庫
SFに限らず、あらゆる小説・文学作品というものは、想像力こそ生命線だと言えます。
記号の羅列の中から現れる全ては、読み手の想像力の逞しさによって、宇宙そのものほどにひろがりもするし、逆に犬小屋よりも小さなものに終わるかもしれません。
そう言う意味でいえば、書き手は常に読み手を意識し、読み手に可能な限り近い想像を描き出そうとするものです。ところが、世の中には全くそういう意識をもたいない作家も少数ながら存在していて、彼らは読者と想像を共有したいとか、理解されたいとか思わないがために、時折、その恐るべき奔放な想像力を発揮して、読み手の想像力をはるかに上回るビジョンを提示することがあります。
そして、コードウェイナー・スミスこそ、そうした「驚異」を提示する作家だと思うのです。
”お話と場所と時間──大切なのはこの三つ。
お話は簡単だ。むかし、ひとりの少年が地球という惑星を買いとった。痛い教訓だった。あんなことは一度だけ。二度と起こらないように、われわれは手を打った。少年は地球へやってきて、なみはずれた冒険を重ねたすえに、自分のほしいものを手に入れ、ぶじに帰ることができた。お話はそれだけだ……”
こんな書き出しではじまる小説を、わたしはかつて知りませんでした。
最初の数ページで物語の骨子を全てあからさまにしてしまうお話なんて、わたしは読んだことがありませんでした。物語の基本的な構造も、粗筋も、結末も、その主要な部分は全て書かれているのです。
”……(少年は)ぶじに逃げのびた。さあ、それがお話だ。さあ、これで読まなくていい。
ただし、こまかいところは別。
それはこのあとに続く。”
数ページにわたる説明の後で、この三行。
『ノーストリリア』という物語は、まさしくここに言い尽くされていると思うのです。
作者の言う、「こまかいところ」、これこそこの物語の肝心要なところなのです。粗筋をいきなり教えた上で、それでいて尚、「こまかいところ」を読者に読ませることが出来るという自信。こまかいところこそこの本の要点だと言い切れる自信。そして読み始めたら最後、本当にその「こまかいところ」に幻惑されずにはいられないのです。
あらゆる色彩の、あらゆる形の結晶が、一見すると乱雑に列べられたような世界に読み手は放り込まれて、それでもなお物語のモザイクは組合わさって、見事な多面体を形成しているのですから、本当にあきれるしかありません。
(多面体、ということは、つまり、必ずしもすべての「結晶」がこの一冊で見えるわけではない、ということです。もちろん、それで先へ進めないということはありませんけどね)
「史上最も独創的な」作家コードウェイナー・スミスの唯一の長編、ぜひ読んでみてください。(それも、一度と言わず、二度三度と。その度に新しい発見と喜びがある作品なんて、世の中にそうザラにあるものじゃないですから)
◆◇「人類補完機構」関連書籍◇◆
『鼠と竜のゲーム』コードウェイナー・スミス/短篇集/ハヤカワ文庫
『シェイヨルという名の星』コードウェイナー・スミス/短篇集/ハヤカワ文庫
『第81Q戦争』コードウェイナー・スミス/短篇集/ハヤカワ文庫
◆◇著者略歴◇◆
本名ポール・ラインバーガー。政治学者。アメリカ政府の外交政策顧問も務めた。
1913年生まれ。
1928年「第81Q戦争」を執筆。
1950年「スキャナーに生きがいはない(鼠と竜のゲーム)」でSFデビュー。
1966年死去。
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