◎SF小説の部屋◎

ここでは、SFに分類される(と、塩野が思う)本の中から、

塩野泉のお気に入りを紹介します。

『たったひとつの冴えたやりかた』 夏へのとびら 闇の左手
惑星カレスの魔女 ノーストリリア ─人類補完機構─  

『たったひとつの冴えたやりかた』
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/朝倉久志訳/ハヤカワ文庫

 たったひとつの冴えたやりかた……。
 ね、すごく良いタイトル。
 私、タイトルが気に入って買った本は大抵アタリなんです。

 ティプトリーの本はハヤカワ文庫から計五冊出てるけど、初めて読む人にはこれをお薦めします。
 SFって、なんか男臭くてヤダ、なんて思っている女の子に、是非読んでもらいたい一冊。(言うまでもなく、男の子も買って損はないぞ!)

 長編の体裁をとってるけど、実は三編の中編からなってます。
まず、『たったひとつの冴えたやりかた』
 元気印の女の子が、誕生日に贈られた小型の宇宙船で、こっそり星の海の彼方へと冒険旅行に出かけたが……という、こう書くと何とも六十年代ちっくな古くさい小説かと思われるかも知れないけれど、さにあらず!ティプトリーの流麗にして円熟した筆致は、古くささなど微塵も感じさせません。

 アメリカのある書評家をして、「この作品を読みおえるまでにハンカチを必要としなかったなら、あなたは人間ではない」とまで書かせた作品なのですから。

『グッドナイト、スイートハーツ』
『衝突』

 この二作も秀作で、しかも三編を続けて読ませる力量たるや、並じゃないです。
 本屋さんで見かけたら、速攻買い!

 


『夏へのとびら』
ロバート・A・ハインライン/ハヤカワ文庫

 もし、あなたがSFを読んだ経験がなく、だけど暇だから何か読んでみようかな、という気になったなら、迷うことなくこれを読むことをお薦めします。

 言わずと知れた巨匠の傑作だけど、そんなに長いものじゃない。だけど、一度読み始めるとやめられなくなって、気が付くともう一回読み始めてる。
 そういう作品。

 難解な、SF的プロットや小道具はほとんど出てこない。
 だけど、SF。誰がなんと言おうと、SF。

 1957年の作品だから、小道具が少々クラシックに感じるかも知れない。
 だけど、57年以降、時間をあつかったSF小説は数多く出版されたけれど、結局『夏への扉』以上の作品を書くことの出来た作家はいない。そう思わせるほど、いい出来なんです。
だいたい、タイトルからしていいでしょ。

『夏への扉』

 小学校の高学年のころに、父親に勧められて読んだ『銀河市民』と作者が同じだ、と、読み始めて、気が付いたら本屋さんに座り込んでた。

 大抵、子供のころ心躍らせて読んだ本を大人になって読み返すと、あれ、こんなもんだったかな、って気分になることがあるよね?でも、これはそんなことない。

今読んでもいいんだ、これが。

 


『闇の左手』
アーシュラ・K・ル・グイン著/小尾芙佐訳/ハヤカワ文庫

 この本の印象は、「美しく織り上げられた、氷の結晶のタペストリー」といったところでしょうか。

 遙かな過去に人類によって建設され、放棄された植民地、惑星ゲセン。
 <冬>とよばれるこの惑星を舞台に、同盟の使節であるアイと、失脚した首相のエストラーベンの二人が交互に(一人称で)語る、という形式で物語は進んで行きます。幕間に、<冬>の伝承・宗教・民話・伝説を織り込みながら。

 雪と氷に閉ざされた単色の世界を描きながら、そこに次々とあらわれる人間・文化・宗教の鮮やかさ。何よりも、<冬>に生きる人々の特異性、つまり両性具有と、それによる独特の社会の形態の妙。ちりばめられた無数の象徴、壮大な未来史を源にするいくつもの言葉、そして緻密な構成と語り口の見事さ。
 どれをとっても、まさに一級の傑作と呼ぶにふさわしく、ヒューゴー・ネビュラ両賞受賞もうなずけます。

 作者のグインは、「SFの女王」ともよばれ、数々の傑作を発表しています。『ロカノンの世界』『所有せざる人々』『風の十二方位』『世界の合い言葉は森』などなど。

 しかし、彼女の凄さは、単にSFのみにとどまりません。
 いわゆる「三大ファンタジー」のひとつ、『ゲド戦記』も彼女の作品ですし、『オールウェイズ・カミングホーム』という、「ディープエコロジー」的大著も彼女の作品なのです。

 『闇の左手』は<ハイニッシュ・ユニバース>と呼ばれる宇宙・未来史を背景としています。同じ宇宙史を背景とする作品には、『ロカノンの世界』『辺境の惑星』『幻影の都市』などもあります。

 『闇の左手』を読んで、興味が湧いた、という方はぜひ読んで見てはいかがでしょうか。

 


『惑星カレスの魔女』
ジェイムズ・H・シュミット/鎌田三平訳/創元SF文庫


 パウサート船長はその夜、ウキウキした足取りで、寄港先の惑星の夜道を歩いていた。
 船長は故郷でのある商売の失敗から、ボロボロの宇宙船を駆って商売に出かけねばならなくなった。倉庫に積み上げられた買い手のつかない商品を売りつくさなければ、借金のために十年からの強制労働に服すことになってしまう。
 ところが、船長はついていた。帝国官僚との賭に勝ち、どうしようもない商品をやっかい払いすることができたのだ。赤字どころか、大きな利益さえだせそうだった。そして故郷に帰れば、婚約者が彼を待っている。これで浮かれるなという方が無理というものだ。
 そんなことを考えて夜道を歩いていた時、パウサート船長は甲高い少女の悲鳴を聞きつけた。
 船長が慌てて飛び込んだ先では、ささやかな混乱がおきていた。
 十四歳くらいの少女は箱の上。店の主人は何やら怒り心頭で、今にも少女に手をあげそうな様子だった。こんな少女に、手をあげるのを見逃すわけにはいかない。こうして、ささやかな正義感は店主と船長の殴り合いをよび、結局船長は奴隷の少女を引き取るはめになる。
 船長に引き取られた少女は、泣きながら言う。
「もうふたり、妹がこの惑星にいるの。ふたりも、とっても安く買えるはずだわ」
 そんなこんなで、三人の少女を故郷へ連れ帰ることになるパウサート船長。
 しかし、彼の不幸はこれで終わりではなかった。
 三人の少女は、惑星カレスの魔女だったのだ──。


 わたしは、基本的に「大人の男性と、年下の女の子」という組み合わせが大好きなんです。(逆は全くだめなんですけど)
 だから、このお話はすごくツボでした。
 小さな魔女(一種の超能力者)とおじさんになりかけの船長が、宇宙狭しと冒険道中!
 ユーモアのある、すごく温かいスペースオペラ、って感じです。だから、SFが苦手な人、特に女の子にはお薦め。
 とにかく、出てくるキャラクターがすごくイイんです。それにわかりやすい設定も舞台も好感がもてるし、何と言っても作者の優しい眼差しが感じられるようで、構えなくてもスウッと入り込んでいけます。
 だから、何度読んでも気分がイイ。

 実は最初、書店でこの本を手に取ったのは、表紙に惹かれたからなんですよ。
 宮崎駿さんが表紙の絵を描いてるんです。で、読んでるうちにはまっちゃった、と。
 でも読み終えたら、宮崎さんが表紙を担当したの、わかるような気がしました。確かに、宮崎さんの好きそうなお話なんですよね。

 わたしはこのお話に関して、要望が二つあります。
 ひとつは、続編が読みたい! ということ。
(作者が亡くなっているので、もういっそ自分で書こうかと(笑))
 そしてもうひとつは……宮崎監督、映画化してください!

 


『ノーストリリア ──人類補完機構──』
コードウェイナー・スミス著/浅倉久志訳/ハヤカワ文庫

 SFに限らず、あらゆる小説・文学作品というものは、想像力こそ生命線だと言えます。
 記号の羅列の中から現れる全ては、読み手の想像力の逞しさによって、宇宙そのものほどにひろがりもするし、逆に犬小屋よりも小さなものに終わるかもしれません。

 そう言う意味でいえば、書き手は常に読み手を意識し、読み手に可能な限り近い想像を描き出そうとするものです。ところが、世の中には全くそういう意識をもたいない作家も少数ながら存在していて、彼らは読者と想像を共有したいとか、理解されたいとか思わないがために、時折、その恐るべき奔放な想像力を発揮して、読み手の想像力をはるかに上回るビジョンを提示することがあります。

 そして、コードウェイナー・スミスこそ、そうした「驚異」を提示する作家だと思うのです。

 ”お話と場所と時間──大切なのはこの三つ。
 お話は簡単だ。むかし、ひとりの少年が地球という惑星を買いとった。痛い教訓だった。あんなことは一度だけ。二度と起こらないように、われわれは手を打った。少年は地球へやってきて、なみはずれた冒険を重ねたすえに、自分のほしいものを手に入れ、ぶじに帰ることができた。お話はそれだけだ……”

 こんな書き出しではじまる小説を、わたしはかつて知りませんでした。
 最初の数ページで物語の骨子を全てあからさまにしてしまうお話なんて、わたしは読んだことがありませんでした。物語の基本的な構造も、粗筋も、結末も、その主要な部分は全て書かれているのです。

 ”……(少年は)ぶじに逃げのびた。さあ、それがお話だ。さあ、これで読まなくていい。
 ただし、こまかいところは別。
 それはこのあとに続く。”

 数ページにわたる説明の後で、この三行。
 『ノーストリリア』という物語は、まさしくここに言い尽くされていると思うのです。

 作者の言う、「こまかいところ」、これこそこの物語の肝心要なところなのです。粗筋をいきなり教えた上で、それでいて尚、「こまかいところ」を読者に読ませることが出来るという自信。こまかいところこそこの本の要点だと言い切れる自信。そして読み始めたら最後、本当にその「こまかいところ」に幻惑されずにはいられないのです。

 あらゆる色彩の、あらゆる形の結晶が、一見すると乱雑に列べられたような世界に読み手は放り込まれて、それでもなお物語のモザイクは組合わさって、見事な多面体を形成しているのですから、本当にあきれるしかありません。
(多面体、ということは、つまり、必ずしもすべての「結晶」がこの一冊で見えるわけではない、ということです。もちろん、それで先へ進めないということはありませんけどね)

 「史上最も独創的な」作家コードウェイナー・スミスの唯一の長編、ぜひ読んでみてください。(それも、一度と言わず、二度三度と。その度に新しい発見と喜びがある作品なんて、世の中にそうザラにあるものじゃないですから)

◆◇「人類補完機構」関連書籍◇◆
『鼠と竜のゲーム』コードウェイナー・スミス/短篇集/ハヤカワ文庫
『シェイヨルという名の星』コードウェイナー・スミス/短篇集/ハヤカワ文庫
『第81Q戦争』コードウェイナー・スミス/短篇集/ハヤカワ文庫

◆◇著者略歴◇◆
本名ポール・ラインバーガー。政治学者。アメリカ政府の外交政策顧問も務めた。
1913年生まれ。
1928年「第81Q戦争」を執筆。
1950年「スキャナーに生きがいはない(鼠と竜のゲーム)」でSFデビュー。
1966年死去。

戻る