江戸城丸の内、和田倉御門の南、俗に「大名小路」とよばれる通りに面した一角に、その屋敷はあった。丸の内屋敷とも、あるいは内堀の水が道三河岸に注ぐ様子が竜の水を吐くようだと評されたことから、竜の口(辰の口)屋敷とも呼ばれている。
東西百七十間、南北七十間、敷地の総面積は七千五百坪。周囲を背の高い塀に囲まれ、敷地内には家臣の長屋はもちろんのこと、重臣の屋敷や二つの能舞台などが建ち並び、奥向には池と築山を配した庭園もある。
この屋敷は、古くは「西国将軍」とまで称された池田輝政公が暮らし、承応三年(一六五四)の今は、輝政公の孫が主となっている。すなわち、この屋敷は外様大藩たる備前岡山藩主・松平左近権少将の上屋敷であり、その主こそ世人の言う備前少将、後世に池田光政として知られる男であった。
承応三年の七月二十四日。
朝から空は青々と澄み渡り、蝉の声が響き渡る夏日である。燦々と日差しが照りつけ、奥向の庭の白砂は目に眩しい。
そんな庭を見るとも無しに見つめながら、しかし勝姫の表情は暗く沈んでいた。
「ああ……」
思いつめたような溜息が、ふと漏れてしまう。
そんな自分に気付いて、勝姫は形の良い眉を寄せた。
「あの……」
気が付けば傍らには奥女中のお清が控えていて、不安そうな面もちで勝姫を見つめていた。何か言いたそうで、しかし勝姫の様子になかなか声をかけられなかったものらしい。お清の運んできたお茶が、涼やかに薫っていた。
「お清、どうしたのです?」
「あの、奥方様、どこかお加減でも……?」
不安そうなお清に、勝姫は強いて笑顔で、
「大丈夫、すこし考え事をしていただけです」
そう答えて、視線を庭へ戻した。
池の鯉が、日差しに遊ぶように水面をたたき、小さなしぶきが散る。
(こうして見ている限り、水は涼しげで、清らかで、心地よいものだけれど──)
勝姫は傍らのお清の存在を忘れ、考えた。
(同じ水が、大きな苦しみをもたらす……。なくては生きられず、といって多すぎれば悲惨となる。仏者の言うところも、案外、真実なのかもしれない……)
ふたたび憂いの中に沈み込もうとした勝姫を現実へと引き戻したのは、傍らに控えていたお清だった。
「あの、お訊ねしてもよろしいでしょうか」
意を決したように、勝姫に声をかける。
「え……? ああ、かまいませんよ。何事です?」
「国許の、備前の国の様子は如何なのでしょうか? 先程も、御台所でお末たちが噂をしているのを聞いて……。殿様や奥方様の、このところのご不興や、お屋敷の様子を考えると、不安になってしまい……」
お清はそれだけ言うと、俯いてしまった。
まだ年若い奥女中のお清でさえ大きな不安を感じるほどに、このところの丸の内屋敷を覆う憂色は濃いのである。まして、御錠口よりこちらの奥向では、表向からの人の出入りがほとんど無いために、かえって噂が大きくなり、不安を掻き立ててしまう。
(ここは、むしろはっきりとした事実を伝えた方が良いかもしれない……)
勝姫はそう考えて、静かに話し始めた。
「国許から、早馬が着いたのがこの月の六日……。そなたも知っての通り、その日以来、この上屋敷と国許の間の早馬は引きも切らない。そして、国許より届くあらゆる便りは、そのことごとくが凶報なのです。
月のはじめに備前の国を襲った未曾有の豪雨は、ふたつの大川、旭川と吉井川を氾濫させ、民百姓の多くが命を落とし、あるいは助かった者も家を流され田畑を失い、備前の国中が悲嘆の声に満たされているとか……」
お清も勝姫も江戸生まれの江戸育ちで、一度として備前の国を見たことはない。けれど、お手先の大藩たる備前の国の平野と言えば、その豊饒なことは江戸でもよく知られている。表高は三十二万石。しかし、実高はそれを遙かに上回っている。その地力を支えているものこそ、豊かな水量を誇るふたつの河であり、広大な備前の平野なのだ。
「そなたは、先年この奥向に入ったばかりなので知らないかもしれないが、殿は孔孟の徒にして仁君たるお方……。
殿は急使の知らせを聞いて、領民にひとりの餓死者も出さぬようにせよと仰せになった。つまり、金烏の御城に蓄えられていた御蔵米を全て領民に与えるように指示されたのです。また、大坂の蔵屋敷に送っていた御蔵米も全て備前へと積み戻し、餓人の救済救恤にあてるように手配されたのです」
不安そうな面もちで勝姫の話に聞き入っていたお清は、光政のこうした処置を聞いて、ようやく安堵したらしい。
「それでは、備前の民百姓は救われるのですね……?」
勝姫は、しかしその言葉にかえって憂いの色を濃くした。
「いいえ。備前の民は三十七万……。とてもではないが、御蔵米くらいでは支えきれないでしょう」
「でも、奥方様……」
「支えきれないからこそ、今日、殿が大老の酒井雅楽頭(うたのかみ)様に領国の窮状を訴え、御蔵米の借用を願い出ているのですよ」
「では、お上が御蔵米を貸してくだされば……」
しかし、勝姫はまたしても首を振った。
「お清、今の幕府は、権現様のころような大きなゆとりを持ってはいないのです。おそらくは、殿がいかに窮状の惨たるを訴えられようと、幕府は諒とはしないでしょう……。それに──」
そこで、勝姫は口ごもった。ここから先は、いかに心やすいお清とはいえ、話せないことだったからだ。
幕府は外様大藩の池田家を、その初代輝政公以来、怖れ、警戒し続けている。まして光政は、それが必要と思えば、幕府の方針に公然と反抗して憚らない。幕閣にとってみれば、光政ほど厄介な存在もなかったのだ。そんな光政に、幕府が易々と借財を許すなどあり得ない──。
「でも、奥方様、それではもう、どうしようもないのでしょうか……?」
「そうですね、殿もそれ故にご苦衷なのです……」
勝姫が光政に嫁して二十年。ここ数日ほど、光政が憔悴した様子は見たことがなかった。元服前から因幡・伯耆三十二万石という難治の国を治め、長じて備前三十二万石を領して、仁君、名君と讃えられる光政でさえ、これほどの困難に直面したことはかつてなかったのである。
(そう、この女の身ではなにもできない。まして、殿は私のことを……)
ふたたび暗い思考の泥濘へと落ち込みかけた勝姫は、自らを叱咤した。
(いいえ、それではいけない。何か、何かあるはず……。女の身とて、何か出来ることが……)
その時、お清が溜息混じりに呟くのが聞こえた。
「ああ、こうして大奥にいては、せいぜい節約するくらいしかできないのですね……」
勝姫はその言葉に、一瞬、口許をほころばせた。
「お清、大奥とは江戸城のみに使うことば。奥向というのが正しいのですよ」
「あ……」
お清は誤りを指摘されて、赤くなって俯いてしまった。
(大奥……?)
勝姫はふと気が付いた。
確かに女は女。所詮、その身に出来ることに限界はある。しかし、世の中には、そこらの大名よりもはるかに大きな影響力を持つ女もいる。例えば──
「そう、まだ手はある……!」
勝姫が思わず口に出した言葉に、お清は怪訝な表情を浮かべた。
「ああ、ありがとう、お清。そなたのお陰ですよ」
「あ、あの、奥方様……?」
「いいですか、老女の松島に伝えなさい。殿がこちらにお渡りあそばしたら、すぐに知らせるようにと」
「は、はい」
お清が不思議そうに見つめるのも気づかぬ風に、勝姫は明るい表情になって、青々とした庭をじっと見つめていた。
***
武家の屋敷は、基本的にどれも同じような構造を持っている。それは旗本の屋敷であろうと、大名の屋敷であろうと、あるいは江戸城であろうと変わらない。
表御門を入って、玄関、表詰所、御留守居役詰所、御用部屋など大小さまざまな座敷が延々と連なる。これが表向、つまり家臣や主君の政務を行う場所である。そこから奥へ進むと、表向の最奥にある御錠口(おじょうぐち)と呼ばれる入り口に突き当たる。この御錠口の前には、当直小姓が控え、御錠口を通る者がいないかどうかを監視している。つまり、この御錠口が表向と奥向を繋ぐ唯一の通路であり、その向こう、奥向には当主以外の男子は立ち入ることを許されない。奥向は、奥方の居室をはじめ、老女の間、女中部屋、御調理所、御化粧部屋などが並んでいる。ここが屋敷の主の私生活を営む場所なのである。
この日、光政が奥向へ入ったのは常よりもやや遅く、四つ時(午後十時)を過ぎていた。 光政は孔孟に心酔し陽明学を学ぶという、いわば「徳の高い君子」であったので、江戸表には側室などいるわけもない。奥向の最奥、十一畳敷きの御居間で、勝姫と光政は床につくまでを「なんとなく」過ごすのが普段であった。
承応三年、光政は四十六歳。かつて備前少将として江戸の子女を騒がせた美貌も、元服後の疱瘡(もがさ)によって見る影もなくなり、まるで鬼面のようでもある。しかし、かつて神君家康をして「眼光のすさまじさ唯人ならず」と感歎せしめたその瞳だけは、歳を重ねて深くなり、また鋭さを増していた。
勝姫は、ふとした折に光政に射すくめられ、その眼光に心を奪われるのが常であった。容色の醜いことなど、すこしも気にならない。それ以上に、深い知性と自らを律する厳しさを感じさせる瞳の色に惹かれるのである。
(ああ、もしも、この殿が私に、心を許してくださるなら……)
その瞳を見るたびに、勝姫はそう思わずにはいられなかった。
光政は勝姫にやさしい。よく気を遣ってくれるし、様々な話も聞かせてくれる。しかし、嫁して以来二十年、光政が本当に心を許した瞬間はなかった。それは、光政と勝姫の婚儀が必ずしも光政の意に添うものではなかったためであり、何よりも勝姫が徳川家の人間であるためだった。
徳川家は、関白秀吉の頃から、池田家を怖れ続けていた。当初は豊臣家の臣として、後には外様大藩の雄として。それ故に、徳川家は池田家を味方に繋ぎ止めておくために、常に婚姻策をもってした。光政の祖父・輝政には、本来の正室と別れさせてまで家康の二女を娶らせたほどだ。そして勝姫もまた、池田家を徳川家に繋ぎ止めるため、池田家には不本意ながら、正室に迎え入れざるを得なかった姫君だったのだ。
それ故に、光政は決して勝姫に心を許そうとはしなかった。外様大藩の藩主として、徳川家に容易に付け入る隙を与えるわけにはいかないからである。
勝姫にとっては、そんな光政に心惹かれるだけに、日常のふとした瞬間に、心を許していてはくれないと感じることがなにより辛かったのである。
「殿。昨日、大坂より急使が参ったとか……?」
勝姫は杯に酒を注ぎながら、そっと光政に尋ねた。
「うむ。大坂留守居役の上森彦次郎からな。上森は、鴻池了信から、信用貸しで銀五百貫を引き出したというてきた」
「まあ、それは何より……」
「うむ」
光政は低く答えて、ぐいっと杯をあけた。しかし、その顔は苦い。
備前岡山藩の大坂における蔵元・掛屋は、数年前より豪商の鴻池がその任に当たっている。しかし、備前の財政は赤字すれすれを続けており、鴻池からの借銀はすでに膨大な額に達する。その上で、なお信用貸しを取り付けたのは上森の大手柄と言えるが、その為に大坂留守居役の上森が必死で鴻池に頭を下げただろうことは、光政にも容易にわかる。武家が商家に平身低頭しなければならない──何よりも、自分の家臣をそこまでさせなければならないことが、光政を憮然とさせるのだ。
「だが、銀五百貫では、焼け石に水。とてもではないが、追いつくものではない」
光政の言葉に、勝姫は悄然と肯いた。
「国許では、国老の池田伊賀、日置若狭をはじめ、蕃山などが藩士を束ね、地方仕置(じかたしおき)など、ようやってくれている。だが、何というても米の不足は覆いがたい……。このままでは、遠からず餓死者がでるのは避けられぬ……」
光政は苦り切った表情で、呻くようにいった。
しばらくの沈黙の後に、勝姫は思い切って、
「殿、本日の御登城はいかがにございました……?」
「ああ、酒井雅楽頭殿に直接お願いしてみたが、これは難しい」
「やはり……」
「酒井殿は、我が藩の窮状に同情はしてくださったが、さりとて無い袖は振れぬ、と」
四代将軍家綱の治世になって、幕府は急速に緊縮財政へと舵を切りつつある。それは家光までの三代にわたって、放漫ともいえるほどの散財を続けたために、ここにきて幕府のふところが涼しくなってきたためだ。それを理由に借財を断られては、いかに光政とはいえ、無理押しはできない。
「しかもどうやら、先年の戸次庄左右衛門の一件が未だに尾をひいておるらしい。それもあって、幕閣は、この松平左少将にはいい顔をせぬ……」
光政は苦り切った様子で、杯をあおった。
戸次庄左右衛門の一件とは、増上寺において戸次らの一党が老中襲撃を計画していたという、いわゆる「承応の変」のことである。この一件が発覚した際に、光政が彼の一党を操っていたという謀反の噂が江戸中に広がったのである。もとより、光政は幕府に睨まれている存在であり、その為にこの噂は、一時、幕府内部で相当の信憑性をもって語られたという。
御居間はふたたび沈黙に包まれた。
四つ時を過ぎればさすがにあたりは涼しくなり、庭からは虫の音が聞こえている。
勝姫は、苦り切った表情の光政を見つめ、静かに切り出した。
「殿、差し出たことをとお思いになるかもしれませんが、私にひとつ考えがございます」
「考えが……?」
「はい。幕府より借財を取り付ける、その方法が……」
「何?」
光政は、思わず手にした杯を置いた。
「して、その方法とは?」
「母上に、幕閣への口添えを頼むのです」
「母上……。天樹院様に……?」
勝姫は静かに肯いた。
「む……」
光政は唸って、じっと勝姫を見つめた。
「なれど、天樹院様は病臥にあると聞いているが……」
「母は、剛毅な人ですから──」
そう言って勝姫は微笑んだ。
天樹院、俗名を千姫。二代将軍秀忠の娘として生を受け、幼くして豊臣秀頼に嫁した。秀頼が大坂城と共に果てた際に、千姫は坂崎出羽守によって燃えさかる大坂城から救い出され、一年後に、一目惚れした本多忠刻(ただつぐ)に嫁した。寛永三年、本多忠刻が世を去った際に落飾して、天樹院と称して江戸城竹橋御殿に入り、現在では東の丸様と呼ばれている。
「天樹院様に、借財の口添えを……」
「はい。あの母なれば、一人娘の頼みを断ることはありますまい。これなら、おそらく幕閣も否とは申せませぬ」
「む……」
光政は唸って、黙り込んだ。
「殿、お許しいただけましょうか……?」
勝姫は光政の目をじっと見つめた。
光政の目は、まるで勝姫の心の奥底までをも見透かそうとするかのように、鋭かった。
どれほどの時間が流れたものか、光政はついと視線をそらすと、
「それでは、そなたに任せよう」
といった。
果たして光政の胸中に、どんな想いがあったものか。あるいは、徳川家に巨大な借りを作ることを危惧していたのかもしれない。
ともあれ、優先すべきは領民の救済であると、光政は断を下したのであった。
***
翌日になって、勝姫は江戸城竹橋御殿に天樹院を見舞った。
その際にどのような会話が交わされたのかは誰も知らない。
そしてさらにその翌日、つまり七月の二十六日早朝、大勢の武士たちに護られた荷車が丸の内屋敷の表御門に横付けされ、無数の箱が運び込まれた。
四十数個にも及ぶその箱には、山吹色に輝く小判がギッシリと詰まっていた。
唖然とする光政に、千両箱を運び込んだ幕府勘定方の役人は、
「御城金四万両、大老酒井雅楽頭様のご指示により、確かにお届けいたしました」
と言い置いて一礼すると、呆然とする備前藩士たちを残して去っていった。
四万両はただちに大坂へ送られ、鴻池のもとで米に姿を変えると、海路、備前岡山へと運びこまれた。こうして、備前岡山藩は困窮を乗り切ることができたのである。
しかし、勝姫の「錬金術」は、これだけでは終わらなかった。それは数ヶ月後、天樹院が七十年の天寿を全うし、世を去った後に明らかとなったのである。
***
年が改まった明暦元年の五月二十日。
五つ時を過ぎて、早々と奥向に渡った光政は、何とも言いようのない表情をしていた。
「殿、いかがなさいました……?」
光政の表情に、勝姫は怪訝そうに訊ねた。
「今日、登城した折に、酒井雅楽頭殿にお目にかかり、先の御上使の御礼言上かたがた、先の御城金四万両について、返済を十年賦(十年分割)にてとお願い申し上げた」
「はい」
「すると、酒井殿は、『御城金四万両は幕府が天樹院様にお貸ししたものにて、貴殿にお貸ししたものにあらず。よって、貴殿が返済すべきは天樹院様である』といわれる。むろん、天樹院様は先年の秋に身罷られている。そう申し上げると、『天樹院様は生前、江戸城東の丸にお持ちであった諸道具・金子の一切をご息女に譲る旨、遺言されている。もし貴殿が是非にも返済を、と言うことであれば、貴殿の奥方にお返しさるる外はない』といわれるのだ」
「まあ、左様でしたか……」
勝姫は楽しそうに微笑んだ。酒井雅楽頭の持って回った言いようが可笑しかったのだ。
「されば、殿、大老たる酒井様もそう仰っていることゆえ、御城金四万両は、お上より殿へ下し置かれたものとお考えになればよろしいのでは……?」
勝姫がそう言うと、光政はしばらくの間、勝姫をじっと見つめて、首をふった。
「いや、そういうわけにも参るまい。大老があのようにいわれた以上は──」
そう言うや、光政は立ち上がると上座を下りて勝姫の正面に座り、両手をついた。
驚く勝姫に、光政は厳しい声で、
「当藩の借用したる金四万両、近年のうちに必ず返弁いたす所存にて、暫時ご猶予を賜れましょうや?」
と訊いた。
両手をついて勝姫を見つめる光政に、勝姫はしばらく瞑目していたものの、やがて静かに答えた。
「さしあたり入用にあらねば、返済は無用。そのまま置かれるべし……」
開け放たれた障子から、夜気がすっと流れ込んで、ゆらゆらと火影をゆらした。
光政と勝姫は、しばらくの間、厳めしい表情のまま見つめ合った。
「ふふ……」
「ははは……」
どちらかともなく、二人の間に笑いが弾けた。
それが光政と勝姫の、はじめて完全に心を許しあった瞬間だった。
二人とも、見つめ合ったまま笑いあい、その声は相和してさらに大きくなって、丸の内屋敷の奥向に響きわたった。
その夜、深更まで、二人の笑い声は途絶えることを知らなかった。
この後、光政と勝姫は、まさに「琴瑟相和す」の言葉の通り、互いを慈しみ愛おしんで生涯をおくり、その夫婦仲の良さは江戸の人々の評判になったほどであった。
言うまでもなく、御城金四万両について、幕府からの沙汰はその後一度としてなかったという。
<了>
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