「The Bookmarker's Bay」の蔡子さんより頂きました!

『閉じられた森』


1、



 それは、忘れられない依頼人だった。
 ここ数年、道中の護衛を仕事としてきた傭兵くずれの若者、ユアンにとっても、未だに忘れられない二日間――――。



「レバンの森へ同行?」
「ええ」
 登録している案内所を通して依頼を受けたユアンは、その2日後に、街角の公園で依頼人の少女に会った。
 歳は19で、栗色の長い髪と、白い肌が印象的な、美しい少女だった。馬車を乗り継いで、故郷からこの街まで、約二週間かけてやってきたという。
 旅や引越しなどの道中の護衛に、若い娘が依頼にくるのは、そう珍しいことではない。ただ、その少女の場合は、その行き先と内容が、普通とちょっと違っていた。
 ユアンは意外そうに頭をかきながら、
「えーと、お嬢さん、名前は……」
「アイラといいます」
「アイラさん、あの森へは片道1日程度で行ける距離だが、このあたりでも、かなり危険な場所にあたる。もう何年も前から、レバンの森には恐ろしい化け物が住みついてるって話だ。もう何人も死傷者が出てる。いくら護衛をつけるといっても、好き好んであんなところに行く人間は、めったにいない。失礼だけど、女ひとりで、いったい何をしに?」
 道中のみの護衛といっても、最小限の事情は知っておく必要がある。そう思っての質問だったが、アイラは長い青色のスカートをきゅっと掴んだまま、
「……森の化け物の話はきいています。森で亡くなった方たちのそばには、必ずアゲハチョウの羽が落ちているとか。……危険は承知の上です。詳しいことは言えませんけど、でも、どうしてもあそこに行かなきゃならないんです」
 そう言って、再び護衛の依頼を申し出た。
「お願いします。どうか、あの森まで、私を連れて行ってください」
 そのまっすぐな瞳がユアンを見つめた。
「………」
 わけありの護衛も何度もしたことがあるので、こういった反応も珍しくはなかった。何か深い事情があると悟ったユアンは、それ以上追求せずに、
「……わかりました。引き受けます。ただし、俺の手におえないほどの危険な場所だと判断したら、引き返す決断も含めて、俺の指示に従ってもらいます。いいですか」
 そう訊ねた。確かに危険ではあるが、この少女ひとりなら、なんとか逃がすなり守るなりできるだろう。そう判断した上のことだった。
 少女はぱっと顔をかがやかせた。
「ありがとうございます!片道だけですけど、よろしくお願いします」
「片道!?」
 少女の口から何気なく出た言葉に、ユアンは行き先を聞いたときよりも驚いた。
「片道って、森まででいいってことか?」
「正確にいうと、森の中まで、ですけれど」
「おいおい、あんな危険な場所に片道だけ護衛を依頼するなんて、聞いたこともないぜ。往復の契約が普通だ。それとも、帰りは誰か別の護衛のあてがあるのか?」
「……いいえ」
「だったら、悪いことはいわない、往復の契約にしておいたほうがいい。行きにひとりで行けなかった道を、帰りにひとりで無事に戻って来れるわけがない」
「………でも、ほんとに、片道でいいんです」
 片道にこだわる少女に、ユアンはそれでも往復をすすめた。
「依頼料が心配なのか?それだったら、戻った後に、月賦払いで構わないから。いくらなんでも、森の中に女の子ひとりを置いて帰るわけにはいかないよ」
「………」
 少女はしばらく考え込んでいたが、
「……わかりました」
 と、護衛人のすすめを受け入れ、ユアンはほっと胸をなでおろした。
「それでは、明日の朝に出発ということで、よろしくお願いしますね」
 少女はそう言って頭を下げ、帰っていった。
(……レバンの森か。あんな女の子ひとりで、何しに行くんだろうな……)
 アイラの後姿を見送りながら、ユアンはぼんやりとそんなことを考えた。しかし、事情うんぬんよりも、依頼人を道中の危険から守るのが最優先だ。依頼人のプライバシーに深く触れないことも、この仕事の暗黙の掟のひとつだった。


 そして翌朝、ユアンはアイラに付き添って、街を出発したのだった。
 それにどんな意味があるのか、このとき、ユアンは何も知らなかった。



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