『閉じられた森』


2、



「ユアンさんは、おいくつなんですか?」
「え?」
 街を離れてしばらく歩いていると、アイラは笑顔でそんなことを聞いてきた。手には最小限の荷物を下げて、ユアンのすぐ隣りを歩いている。
「オレは今年25だけど」
「この仕事をして長いんですか?」
「もう5年になるかなあ。でも、もう何十年とやってる人達に比べたら、まだまだだけどな」
 そう言って、ユアンは腰に下げた剣を握り締めた。
「オレは傭兵くずれの半端者だからな。この仕事もキャリアはまだ浅いし、今もやっぱりまだ半端者だ」
 アイラはちょっとびっくりしたように、護衛人の顔を見上げた。
「傭兵さんだったんですか」
「正確にいうと、傭兵になる予定だった人間ってとこかな。訓練を受けていた傭兵学校が途中でつぶれちまってな。また入学資金の貯めなおしさ。だから今はこんな仕事してるんだ。もうすぐその資金も貯まりつつあるから、そろそろいい傭兵学校を探そうかと思ってるところだ」
「へえ〜〜、すごいなあ。大きな夢があるんですね」
 アイラがあいづちを打ったところで、ハッと我に返った。なぜこんなことを、昨日会ったばかりの依頼人に話しているのだろう。
 アイラの前だと、不思議と何でも話してしまいそうだった。そうさせる何かが、この少女にあったのかもしれない。
 実際、アイラは笑顔の似合う可愛らしい少女だった。昨日は依頼のためか、少なからず緊張していたようだが、今日は年頃の女の子らしい明るい表情で、まるでハイキングに行くかのような雰囲気であった。
 まあ、終始暗い依頼人とずっと一緒にいるよりはいいよな、と、ユアンもその雰囲気を楽しむことにした。もちろん護衛としての気配りは細心の注意を払うが、ここのところ遠出の依頼が多かったので、片道1日程度という手ごろな距離が正直久しぶりでありがたかったのだ。
 しかし、目的地はいつもより危険度が高めなので、森が近づいてきたら、一層気を引き締めなければならない。
 そう気合を入れなおした矢先に、
「あ、ウサギ!!」
 アイラが嬉しそうに野原を指差したので、少しばかりよろめいた。
「ほら、見て見て!あんな真っ白なウサギ見たの、初めて。ねえねえ、ユアンさん、見ました!?」
 ……こりゃ、ほんとにハイキングだな。
 苦笑しながら、ユアンは無邪気にウサギを指差すアイラを眺めた。
 ……たまには、こんなのも悪くないか。
 ユアンは森が近づくまでの数時間、愛らしい少女の行楽気分につきあうことにしたのだった。


 森までの行程は、約一日。日が暮れる頃には森の入口にさしかかったが、さすがに夜は危険なので、森の手前で野宿をすることになった。
 明日の朝に森に入れば、数時間もしないうちに森の中心に入ることができるだろう。
 降るような満天の星空のもと、静かに闇がふたりを包んだ。焚き火のはぜる音が時折耳に入ってくるが、それがかえって周りの静けさを際立たせていた。
 一日歩いたので疲れたのか、アイラは黙って焚き火を見つめながら、毛布を抱きしめるようにくるまって座っていた。
 昼間の明るい表情とは裏腹に、焚き火に照らし出された顔は、石像のように生気のないものに見えた。
 あたりを警戒しながらも、アイラの様子を見ていたユアンだったが、少女の昼間の明るい雰囲気と今とのギャップに疑問を感じていた。今目の前にいる少女と、昼間無邪気にウサギを追いかけていた少女が、同一人物とは思えない。
 半分焦点の合わない瞳で炎を見つめる少女に、意を決して話しかけてみた。
「……どうした?気分でも悪いのか?」
「……いえ、ちょっと疲れました」
 アイラはそう言って、弱々しく微笑んだ。
「……ユアンさん」
「ん?」
「兄弟はいますか?」
 アイラはそんなことを聞いてきた。
「え?……ああ、3つ上の姉貴がひとり。もう結婚して、故郷で家庭持ってるよ」
「……そうですか。私にも、いたんです。3つ下の妹が」
「……」
 アイラが過去形を使ったので、ユアンはなんとなく黙っていた。
「笑顔をいつも絶やさない子で……家は貧しかったけど、あの子の笑顔にずいぶん救われました……」
 少女の目が少しずつ閉じ始め、毛布に顔をうずめるようにして、樹に寄りかかった。
「……あの子は……大切な……」
 そのまま静かに寝息をたてはじめた依頼人を、ユアンはじっと見つめた。
 この機会に、森に行く理由を聞いてみようかとも思っていたのだが、とうとう聞けずじまいであった。
 ユアンはそのまま近くの倒木に座ると、剣をかたわらに、徹夜の監視をはじめたのだった。



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