『エレギの写本をめぐるささやかな冒険』
(1st edition)


5、地下倉庫


 地下へ続く階段は意外に長く、地下倉庫はカーレの予測よりずっと深い場所にあった。
 ラングネースのような地理条件の都市で、こうした地下倉庫を造るのは容易ではない。なにしろ、潟の上に造られた都市なのである。どこを掘ってもすぐに水がしみ出してしまって、地下室どころではなくなってしまうからだ。
 ジメジメした石張りの階段の終わりには、頑丈な鉄の扉が据えられていた。
「扉だ」とセルカ。
「扉ね」とカーレ。
 セルカは扉に手をかけて、音を立てないようにそっと取っ手を回してみた。
「……鍵が掛かってる」
「そうね。当然でしょうね」
 その冷静な言葉に、闇の中でセルカは思わずカーレに顔を向けた。
「鍵をもってるのか?」
「いいえ。だってセルカ、もちろん、あなたが開けてくれるんでしょう?」
「……。訊くんじゃなかったよ」
 セルカは扉にむかって、低い声で呪文を唱え始めた。

──ユマラの言葉より生まれ イルマタールの風を知り
   イルマリネンの手を経た古き石よ
   真の名を識る我が意に従い 真の名を識る我が声に応えよ
   始原と共に生まれ出たる物 汝が名はイシェル・ヴァーリード──

 詠唱を終えると、セルカは扉に向かって低く命じた。
「開け」
 セルカの言葉に応えて、鉄の扉はゆっくりと開いていく。扉の向こうは灯りがともっているらしく、扉の隙間から光が漏れてきて闇が薄れていった。
 その様子をだまって見つめていたカーレは、感に堪えない、というように呟いた。
「便利ねぇ、魔法って。ね、セルカ、あなた盗賊になるべきよ」
「……。行くぞ」
 セルカが先に立って地下倉庫の中へと滑り込んだ。
 地下倉庫は石造りで、人の背丈の二倍はあろうかと思えるほど天井が高く、一家族が楽に暮らせるくらい広々としていた。中央に大きな燭台が据えられ、無数の柱には松明が燃えて、あたりを煌々と照らしている。
「広いな。それに荷も多い……」セルカは倉庫の一面に積まれた木箱の山を見て呟いた。「カーレ、あんたまさか、この荷を全部開けてみようと言う気じゃ──」
 と、そこでセルカは傍らにいるはずのカーレの姿がないことに気がついた。セルカは慌てて色を消す魔法を解いた。
 薄い影のようだったセルカの姿が地下倉庫の入り口近くに現れたとき、カーレの姿は倉庫の奥、木箱の山の側に現れた。黒い外套は明るい中では実によく目立つ。
「おい、あんたなにやってんだ……?」
 セルカが歩み寄って見てみると、カーレは短剣を使って木箱のひとつを開けようとやっきになっていた。木箱の側面に短剣を差し入れて、テコの要領で無理やりに孔を開けようとしていたのだ。
 力みきった息の下、カーレは目線を木箱のひとつに注いで、セルカに告げた。
「見てご覧なさい、少年。そこ……その木箱」
「ん? これか?」
「そう、その箱の印。……うぅ!」
 力んでいるカーレの横に山積みの木箱には、どれも似たような焼き印が押されている。
「太陽と雲、そこから射し込む光の紋章か……」呟いて、セルカは眉根を寄せた。「あれ、この印はどっかで見たような……」
「当たり前よ。それはベラ・ス・スクーツ諸侯領の紋章なんだから」
「ベラ・ス・スクーツ? 俺たちが捜してるのは、サザンプールから運ばれた写本だろ。ならそんな荷は放っておけばいいじゃないか」
「莫迦言わないで」とカーレ。ひたいにうっすらと汗を滲ませている。「よく考えてよ、セルカ。我がシーアネス王国とベラ・ス・スクーツは、公式には今でも交戦状態なのよ」
「あ……」
 セルカはすっかり忘れていたが、ここ二十年、シーアネス王国と隣国のベラ・ス・スクーツ諸侯領は交戦状態を続けている。とはいっても、数年に一度、まるで思い出したかのように小競り合いをするだけのことなのだが。
 シーアネス王国とベラ・ス・スクーツ諸侯領は非常に険悪な関係だ。もともと諸侯領はシーアネス王国の一部だったのだが、三百年ほど前に、東方諸侯が王国からの分離を宣言し、諸侯合議制の独立国となった。そういう事情なので、文化も言語も宗教も、王国と諸侯領とではほとんど違わない。しかし、それぞれの国の民衆は、互いのことを実に嫌い抜いている。端的にいって、この隣り合う二国はそりが合わないのだ。だからここ三百年、戦争と休戦とを延々繰り返してきたのだ。
「こんなところに諸侯領の焼き印付きの木箱が山積みなんて、怪しすぎるでしょ」
 カーレはうんうん唸りながらそう指摘した。
「だけど、それでも俺たちが捜してるの写本とはなんの関係も──」
 セルカが言いさした時、バキッという音と共に、カーレが床にへたり込んだ。
「ひ、開いた……」
 肩で息をするカーレを後目に、セルカは開いた孔から木箱の中を覗き込んだ。
「……なんだこれ?」セルカは木箱に手を突っ込んで、中の物を引っ張り出した。「これ……煙草か?」
 セルカの手には、乾燥して茶色くなった草の束が握られていた。それを見たカーレは、しかし、サッと表情を変えた。
「これは……」セルカの持つ草に鼻を近づける。「これ、ラッカだわ……!」
「クリーム(ラッカ)? 何でこんな草がクリームなんだ?」
「違うわよ! ラッカって、幻覚剤のことよ。麻薬!」カーレの表情は蒼ざめていた。倉庫に山と積まれた木箱を見つめて呟く。「これが全部ラッカだとしたら……何十万という人が廃人になってしまう……」
 さすがのセルカも呆然として木箱の山を前に立ち尽くした。
 その時──
「そう、正確に言えば、十五万と少々、というところかな」
 背後から野太い声が響きわたった。
 セルカとカーレは弾かれたように身を翻し、そこにでっぷりと肥え太ったひげ面の男の姿を認めた。
「やあ、お二人さん、ようこそ、我がドラン商館へ!」
 男は陽気に言うと、太鼓腹をブルブルと震わせ笑った。

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