『終わりなき冬の物語』





 それはずっとずっと昔のこと。星々の光さえ今とはちがっていたころのお話です。

 名前を持たぬ三柱の大神がこの世界をお創りになりました。大神たちはこの世界のできに満足されると、時の河を越える船に乗って星海の彼方へ旅立ちました。
 それから数千年の年月が流れ、大神たちは忘却の河を越えてふたたびこの大地にお戻りになり、驚きました。世界が、大神たちの旅だったころとまるで変わっていなかったからです。世界は、琥珀に封じられた太古の生き物のように、旅立ちの前とまったく変わっていませんでした。

 大神たちは深く悲しみ、世界が時と共に美しくうつろうことを願われました。命は限りあってこそ美しく輝き、また限りあってこそ新たな生を受けて、大神の列する時の河の向こうへ赴くことができるからです。
 大神たちの願いは、金剛不壊のようであった大地を揺さぶり、結晶した緑柱石のようであった空を融かしました。その大いなる揺らぎの中から飛び出した大地の精髄と、融け落ちた空の雫が交わったとき、新たな四人の神々が生まれました。

 大神たちは彼らの願いの結晶を喜び、この四人の神々に祝福と名を与えました。その祝福は、この四人の神々に性を与えることになりました。なぜなら、大神たちは世界が時と共にうつろうことを願い、豊かな彩りに満たされることを願ったからです。こうして、願いから生まれた神々は女神となりました。

 始まりの女神は、春。命の始まりを祝福し、大地に命を与える女神として、ピヌという名を与えられました。
 ピヌに続く女神は、夏。命の成長を祝福し、命を繁らせる女神として、グリヌという名を与えられました。
 グリヌに続く女神は、秋。命の実りを祝福し、命を充実させる女神として、フォルヌという名を与えられました。
 最後の女神は、冬。命の終わりを祝福し、命に死という名の安らぎを与える女神として、ワイという名を与えられました。

 大神たちはこの女神たちを等しく愛されたのですが、冬の女神ワイには特別な想いを注がれました。なぜならば、命に終わりを与え、大神たちの列する忘却の河の向こうへと送り出す役割を担うのがワイだったからです。
 そこで三柱の大神はワイを傍近くに招き、今ひとつの名を与え祝福しました。この名は、この世界が長い長い時を経て老い果てた時に明かされると言われています。

 ともかく、大神たちは女神たちとともに世界が豊かに、また色鮮やかにうつろうことに大変満足され、ふたたび大いなる星海の彼方へと旅立ちました。
 こうして、世界は四人の女神と美しく生きることになったのです。





 その生き物に初めて気がついたのは、夏の女神グリヌでした。

 東方の彼方に住むグリヌは、約定の日になると夏をもたらすために世界をまわります。その旅の途中、グリヌは豊かに生い茂る森に立ち寄りました。そこは、緑葉から銀の雫がしたたるような美しい森で、しっとりと濡れた苔の絨毯と大理石の列柱のような木々の向こうには、途切れることなく湧きだす透明な泉がありました。木々の梢からは色とりどりの小鳥たちが夏の女神への賛歌を降らせ、子鹿たちは女神の紗の衣に鼻先をこすりつけて喜びを示しました。

 女神グリヌはやさしく微笑みながら彼らに祝福を与え、また自身の疲れを癒すために湧きだす泉に白磁のような両足を浸けて、そっと歌をうたいました。
 グリヌの歌声はやさしく森に響き、様々な生き物が女神のまわりにあつまって耳を澄ませました。グリヌの歌声は、黄金色に輝く夏の日差しと、眩く光る青海の波頭と、抜けるような青空に浮かぶ真白な夏雲を想わせるものでした。
 その夏の歌をうたい終えた時、グリヌは彼女を囲む多くの生き物の中に、名を持たない不思議な生き物がいることに気がつきました。

 その生き物の姿形は、四人の女神にとても似ていました。もちろん限りある命しか持たない生き物であることは明らかでしたが、それ以上に女神グリヌを惹きつけたのはその瞳でした。その生き物の瞳からは、知性と理解の輝きがあふれていたからです。
 そこで女神グリヌはその生き物を親しく近くへ招き、特に祝福を与えて、自らと共に来るようにいいました。その生き物に名を与えることは、グリヌひとりの手にはあまることに思えたからです。
 こうして女神グリヌのもとに三人の女神、春の女神ピヌ、秋の女神フォルヌ、冬の女神ワイが集められました。

 他の三人の女神も、たちまちこの生き物に心を奪われました。特にこの生き物を愛おしんだのは、冬の女神ワイでした。ワイはこの生き物に特別な贈り物をしたいと提案し、残る三人の女神も喜んでこれに賛成しました。そして女神たちはこの生き物に祝福と名を与え、また特に新たな贈り物を与えました。その贈り物こそ、言葉でした。これをみても、女神たちのこの生き物によせる想いがひとかたならぬものであったことがわかります。こうして、この生き物は人間という名を与えられ、言葉という贈り物を受け取ることになりました。
 こうして人は四季の女神の愛をうけて、地上に栄えることになったのです。





 言葉は人間にとって大きな力となりました。たとえ命が失われても、その命の培った知識や経験を次の命に伝えることができるようになったからです。人間は女神たちの庇護と愛情の中で、あらゆる生き物の長として栄えました。

 人々は火の力を知り、他の生き物を飼うことを学び、畑から作物を得ることを覚え、土塊からレンガを生み出すこともできるようになりました。こうして人間が知識を学び、豊かに人生を送ることを女神たちは喜びました。

 大地の上には都市ができ、工房からは煙が立ちのぼり、鎚音と鍬音が絶えることはありませんでした。あらゆる都市にはかならず神殿があり、名を持たぬ三柱の大神と四季の女神たちを讃える歌声が高らかにひびきました。

 人が豊かな人生を送ることをもっとも喜んだのは、人を最も愛した冬の女神ワイでした。春の女神の祝福と共に生まれ、夏の女神の祝福と共に成長し、秋の女神の祝福と共に豊かな実りを迎えてこそ、冬の女神ワイの与える安らぎを喜び、また忘却の河の向こうの国へ旅立つことを希望とすることができるからです。充実した生を送った者こそ、死を神々の恩恵としてより感謝することができるからです。少なくとも、ワイはそう思っていたのです。

 でも、人間だけはそう思わなくなりました。

 落葉のころを迎えると人はため息をつくようになり、冬がくると死を恐れて、自分の定められた日がこの冬ではありませんようにと祈るようになりました。冬の女神ワイを、冷たい手、凍える衣をまとう者、死の使者などと密かに呼ぶようになりました。人は他の生き物よりすぐれている、だから他の生き物と同じように死を迎えるのはおかしいと主張する者さえ現れました。

 けれども冬の女神ワイは、このことを悲しみはしたものの、人に愛情を注ぐことをやめようとはしませんでした。常と変わらず冬をもたらし、無数の命を刈り取って星海の彼方へ送りつづけました。ワイは、安らかな死が人間にとっても恩恵であり祝福であることを疑わなかったからです。

 そしてある年の冬、猛烈な寒さと吹雪が大地を覆いました。無数の命が冬の女神の手で刈り取られることになったのです。冬の女神は三柱の大神との約定を違えることなく役目を果たしたに過ぎませんでした。

 けれどもこれが、全てのはじまりだったのです。


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