『終わりなき冬の物語』





「私たちは万物の霊長だ。女神たちにもっとも愛され、最も賢く、最も強く、最も豊かだ!けれど他の生き物と同じように、冬の凍える手で命を奪われ、短命なまま大地に還らなくてはならない。これは是正されなければならない! 万物の霊長として生をうけた私たちは、もっとも長く生きることが許されてしかるべきだ。諸君、これから春、夏、秋の女神に掛け合いに行こうではないか! 死の使いを追い出そう!」 

 こう主張したのは、最大の都市ソラノの長、デールでした。
 デールは、その年の冬に多くの命が奪われたことを深く哀しむ人々を巧みに誘導して、悲しみを冬の女神への憎しみにすり替えました。
 街中が、「死の女神憎し」でわきあがっているなか、ひとりそれに反対する者がいました。十四歳になったばかりの少年、エルでした。

「……オレの妹はこの冬に死んでしまった。この地上では、オレはもう妹とは会えない。でもオレは冬の女神が憎くなんかない! 妹は死の瞬間に、今までの病気の苦しみがウソみたいな、すごく安らいだ表情でオレに言ったんだ。
『お兄ちゃん、今、冬の女神さまが言ったの、よく頑張ったって。だから楽にしてくれるって。絶対に、お兄ちゃんともう一度会えるって。だから、哀しまなくていいのよ』
……妹は幸せになったんだ。死は恐怖じゃない。死は贈り物なんだ!」
 しかし、人々はエルの言葉に耳を貸そうとはしませんでした。デールは、冷笑をたたえながらエルに言いました。

「エル、お前は子供だからわからないんだ。人生には大きな喜びがある。お前の妹だって、もっと長く生きることができれば、そんな喜びを味わえたんだ。死は苦痛、死は恐怖だ。死は人を殺し、命を止め、体を腐らせて土に返してしまう。人生は長いほうが良いに決まってる! 死を追放しよう! 死に死を与えよ!」
 このデールの言葉に応えて、人々は口々に叫びました。
「死を追放しよう! 死に死を与えよ!」

 こうしてデールに先導された人々は、冬を除く三人の女神に掛け合うため、行進しながら都市を出て行きました。
「死を追い払え! 死に死を与えよ!」





 エルは北へ北へと走っていました。

 自分でも、どうしてなのかはよくわかっていませんでした。でも、とにかく北へ行かなくてはいけないような気がしたのです。北方の果て、最北の地には、冬の女神の住まいがあると聞いたことがありました。とにかくそこへ行かなくてはならない、行って冬の女神ワイにみんなのことを謝らなくてはならない。エルはそう思ったのかもしれません。

 森をぬけ、山を越え、大河を渡り、草原を駆けて、エルは北を目指しました。

 とうとう大森林の入り口についたころには、あたりはほんのりと雪化粧に覆われはじめていました。この大森林を抜けて、地平の果てまでつづく氷原を越えたところが、冬の女神の宮のある大地の北の果てと言われていました。

 エルは決意を新たにして、大森林に踏み込みました。そこはかつて人が訪れたことのない場所でした。一歩進むたびに雪は深くなり、木々は密に立ち並びます。服を透して凍てつく風が肌を刺し、草木は刺々しく枝葉を茂らせて人の進入を阻みます。

 エルはそれでも休みなく足を動かし続けました。指はかじかんで、血の気がなくなっていました。服はボロボロになり、肌には数え切れない切り傷ができ、そこからにじんだ血は真っ白な雪に点々と跡を残しました。とがった木の枝にささっても、肌は痛みを伝えてくれなくなっています。唇は乾いて、吹きつける風のせいでひび割れてしまい、喉は水を求めているのに周りは雪以外何も見えません。

 雪はすでにエルの身長をこえるほど深く積もっています。でも、エルは進むことを止めようとはしませんでした。エル自身、もうどうして進んでいるのかわからなくなっていました。ただ体だけが、北へ北へと急かします。

 からだ全体で雪をかき分けながら、エルは進みました。目の前にある木の姿さえ見えないほどの吹雪がふきつけてきます。耳から聞こえるのは、轟々と唸る風の声だけです。もうエルは目を開けていることができなくなってしまいました。エルはそれでも進もうとして、とうとう意識を失ってしまいました。決して人の立ち入らぬ北方の大森林で、万丈の雪の中に埋もれてエルは眠ってしまったのです。

 気を失う直前、かすかに聞こえた獣の声が、エルの夢の中で何度も何度もひびいていました。





 気がつくと、エルは白い毛皮の中に埋もれていました。一瞬、雪の中にいるのかと思うほど白い毛皮でした。でも、その毛皮からは、生き物の匂いと温かなぬくもりが伝わってきます。ハッと目を開いて、エルはもがきました。自分がどこにいるのかはわからなくても、とにかく抜け出さなくてはと思ったのです。ところが、少しもがくとその毛皮はフワッとエルから離れ、スッと消えてしまいました。

 エルはどうにか落ち着こうとまわりを見回しました。

 エルはどうやらベッドにいるようでした。でも、こんなベッドは見たことがありません。いえ、ベッドだけでなく、何もかもが見慣れぬものばかりで、しかも全てが透明で透き通っていました。エルの足の向こうには暖炉があり、赤々と燃え上がっています。ベッドのかたわらの透明なテーブルには、一輪の白い薔薇をいけたコップが置かれていました。反対側には唯一透明でない、黒い大鳥の剥製らしいものがたたずんでいました。

「……ここ、どこだろう?」
 エルの呟きに、隣で唐突に答えるかんだかい声がしました。

「ここは冬の女神さまの宮で、さらに詳しく申さば水晶の間でござりまして、何故に貴方がここにおられるかとお訊ねになるといたしますれば、実は白虎めが大森林にて見つけました貴方をここへ連れて参りましたので、ワイさまが私に看病するように仰せつけられたので、あ、申し遅れました、私、この宮の一切を取り仕切る役目をワイさまより仰せつけられております、オオウミガラスと申し、貴方がお気づきになられましたらすぐに御前にお連れせよと、これはワイさまより申しつけられておりますれば、こちらへどうぞ!」

 凄まじい勢いでこれだけのことを告げると、ベッドの脇にいた首の長い黒鳥は、退化した羽をばたつかせながら、二本足でヒョコヒョコと部屋を出ていきました。

 エルはあわててベッドから降りて、その黒い鳥の後を追いかけました。どうも、現実とは思えない出来事なのですが、でもエルは夢にしろ何にしろ、あの透明な部屋にひとりきり残されてしまうのはイヤでした。それに、オオウミガラスがかんだかい声で告げたことのなかに、女神の御前に連れてゆくという言葉があったので、女神の宮なら、飛ばない鳥がしゃべることもあるかもしれないと思ったのです。

 オオウミガラスはヒョコヒョコと危なっかしく歩きながら、エルに例のせわしない口調で、女神の宮のそれぞれの場所を説明してくれました。
 どれほど歩いたでしょうか、とうとうエルの背丈の数十倍はあろうかという半透明な氷の扉の前につきました。

「ここが女神ワイさまの謁見の間、とは申しましても、この謁見の間が使われるのはここ数百年のあいだ一度としてありませんで、と申しますのはそもそもこの宮に謁見を求めてくる者などマレもマレで、つまりはほとんど貴方が最初であろうと思われるほどなのですが、ともあれ女神ワイさまお待ちかねでありますれば、お進みください!」

 オオウミガラスの言葉の終わりとともに、巨大な扉はキラキラと氷粒を降らせながら音もなく開きました。


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